旅行や外国、民族学の最近のブログ記事

 日本という国は、何か一度社会からこぼれると、復帰が難しいと感じる。
 これは儒教的思想が根底にあるのかなあと思う。

 韓国人の友達とはこのところ会ってないし、こういう話はしないので分からないが、日本と韓国にはそれが強くある(残っている)ように感じる。
 それが犯罪や罪を犯した時から、または社会的弱者の、社会復帰へ影響を与えている原因の一部を含んでいる気がする。

 罪や犯罪を憎むのではなく、犯罪者そのものを憎むの様である。たとえ間違いで犯罪に巻き込まれたのだとしても、犯罪者として一生扱われる。
 リストラに合い、職を無くし、ホームレスとなっても、そこからの回復が難しい。

 日本では、原因が何であれ、一度社会からこぼれると、それからの社会復帰が難しい。
 これから先、人口が減っていく事を考えると、こういうのは改善すべきであろう。


 今回の、酒井法子被告の麻薬犯罪では、それに対して、
「芸能界はしょうがない」
「もう二度と帰ってくるな」
というようなものが多く感じる。

 薬物犯罪の怖いところは、やがて依存症となり、本人の意思に関わらず求めてしまう常習性が強い事にある。
 これは「犯罪」という面と、「病的なもの」の両面から見ないと解決は難しいのだが、犯罪面からの見方の方が多いと感じる。

 この薬物に該当するものを含む嗜好品の範囲には、アルコールやタバコも含まれるが、アルコールはイスラム圏では御法度だ。イスラム圏でも異教徒は酒は飲めるが、それは外国人向けのホテルなどに場所が限られている国もある。
 対して日本では薬物に該当する類いも流通していたりする。合法なのか違法なのかが、法的に定まっていないのかは分からない。例えば日本でMDMAは数年前までは違法でなかったので、取り締まりが出来なかった。

 タバコは中国や東南アジアでは、分煙のような考えが無いところが普通で、下手したらエレベーターの中でも吸っている。
 東南アジアではタバコの年齢制限が無い国がある。
 日本では公園で遊ばせている幼児のすぐ近くで、何人もの母親が煙草を吸っているのを見かける。副流煙の影響は多くの人が知っていると思う。

 このように嗜好品や薬物の定義は、その国の慣習によって大きく異なる。
 逆な意味では、「法的な整合性がどこまで確かなのか」というのにも繋がるため、医科学的な根拠で見るのと同じくらいの割合で、慣習で捉えられている面もあるのだと思う。
 ただしこれは薬物を勧めている訳ではない。


 数年前に韓国で、
「日帝時代にそれに関わる職に付き、得た資産がある場合は、没収する」
と言う旨の法律が、事後立法された(内容の精査については認識不足の点もあると思うのでご確認ください)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%8D%E9%81%A1%E5%8F%8A

 事後立法というのは憲法のある国では大抵憲法違反になるもので、さかのぼって「けしからん」という事は出来ないのだが、感情的になら何となく共感してしまうところはある。

 私は、このような感情的なものが、日本での社会復帰に影響を与えている面があるのではないかと感じる。
 日本とあわせ韓国を例に挙げたのは、先進国の中で自殺率が高いのが日本と韓国だからである。
 儒教的な共通点が残るのはこの2国で、中国は発祥の地だが彼らはアジア人にしては個人主義なのと、自殺率が低いので共通項が見当たらない気がするから外した。
 実は自殺率は東欧の方が倍くらい高いが、宗教は主にキリスト教なのと、原因に経済的な悲観率のほうが高い気がするのと、社会への復帰という本題での面が見えないため外した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA%E7%8E%87%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html


 人間に社会が必要なのは、人は「人間どうしで社会的な営み」をして初めて人間らしくなるからである。
 動物に育てられた人は人間には成れない。そうすると人間として認められなく、人権の侵害が行われる事になる。

 社会的な営みが出来ないと犯罪になる場合があるが、犯罪を行った人間に対し、
「そういう事は悪い事ですから、次はしちゃいけませんよ」。
といって社会のルールを知らしめる事が重要だし、普通に行われている。知らない法律やマナーも結構多い。

 社会にいないと、社会のルールが分からないので、また犯罪を犯す事に繋がる恐れがある。
 ある意味、しながら進めるような矛盾が含まれている。
 そのため再び被害者が生じるような重大な犯罪者に限っては、極刑とせざるをえない。
 だから子供のうちの躾(しつけ)は重要だ。


 ところが薬物の常習性というのは、これを上回る力があり、自分でコントロールできないのである。
 コントロールできれば苦労はしない。

 「最初の一回したのが悪い」
と言えばその通りだ。

 では、20歳前の酒やタバコはどうか?
 20歳を過ぎての、酒やタバコの依存症は、社会復帰をさせてはならぬほどの犯罪だろうか?
 痩せ願望の女性の拒食症もある意味依存症だが、それも社会復帰をさせてはならぬほどの犯罪だろうか?
 本人がそうせざるを得なくなった原因に、あなたや社会はまったく関与していないか?

 例えば、奥さんがキッチンドランカーでアルコール依存症となり家族が大変になったとして、
 パチンコ依存症になったとして幼い命が失われたとして、だからといって、
「犯罪者として罰っして離婚すれば済む」という話にはならないだろう。

 まずはそうならないようにするというのが、大事であろう。
 その上で、依存症というのはいつどこで誰がなるか分からないので、「なったからには一生許さん」というようなものではないと、社会全体として考える事も重要であろう。

 依存症はそうなった本人が一番困る訳で、こういう困った状態からの回復やその後の復帰を認めないというのは、ある意味では人権侵害という最大の犯罪に繋がる可能性がある。
 「自分以外は認めない」というのは、地下鉄サリン事件のような犯罪となる。


 そのためには、ありきたりだが、
「犯罪に手を染めたり、依存症にならぬ様に、良い人間関係を継続する」
ということが需要であろう。

 この人間関係には、友達関係、家族関係、恋人関係、仕事関係のようなほとんどの面が含まれるので、「私は知らん」というものでもないだろう。
 政治や行政に任せられるかというと、現実的にはどうにも効果的に進んでいない。

 それとともに、もしあなたの愛する人がそうなったとしても、犯罪面だけを見つめるのではなく、病的な面からも支える必要があるだろう。
 


 前回
http://hisajp.com/2009/08/post_274.html
で書いた、米国の組織内での発言だが、それがボスの意に沿わないと、

「好きにしたいのならよそでやれ」
というふうに突っ放されるが、発言者が
「私の発言は間違っていた」
と訂正するとそれで収まることが多い。


 日本の組織のように
「あの時お前は俺にたてついた」
という感じで将来まで禍根を残すのとは違う。


 米国の組織というのは、日本の組織よりもルールが厳しい。
 ルールというよりは「してはいけない事」に触れた時の反応が激しい。

 それが明文化されているものもあれば、明文化されていないものもあり、どちらにしても
「今回のこれは私たちにとって適切でない」
というように判断されるものも多い。
 ルール内だとしても、「今回はそれを越えている」となる場合もある。

 あらかじめ決まっているルールへの対応でないから、「罪」に相当することは少なく、
「私の発言は間違っていた」と訂正するとそれで丸く収まるのである。
 問題なのは内容であり本人ではない。内容を改めれば問題で無くなる。

 「どんなにルールを整えても人間がやる以上問題は生じるから、問題が見つかったら都度解決しよう。それが当たり前じゃないか」
という感じである。
 だから間違っても改めれば「罪」ではない。
 「誤りを認めて改める」のであって、「謝る」のではないから、気が楽だ。


 これが日本だと
「明文化されていないのならルールじゃないのだから、それに触れなければ何をやっても文句言われる筋合いじゃ無いだろう」
と言う様な人も居る。

 組織内で何か問題が発生すると「した事」そのものが問題となって、「謝っても」それは「罪」となって消えないで残る。
 だから組織として問題を解決して次に進むのではなく、罰っして終わり、問題が内在したままとなる。

 このように考え方が違うと、問題が発生しても、捉え方が全然違う。


 米国の組織は日本人からすると、日本以上に見えない事が多いが、簡単に言うととても「村社会」だ。日本人のアメリカに抱く印象とは多分正反対だ。
 ボスが反対しても周囲が「まあ、いいじゃないか」と言えば「ああ、みんながそういうのならそうか」と引っ込めたり、ボスの奥さんや同僚が同様に働いたりもする。

 逆もあり、「あの人がこう言っているのは良くないと思う」というのが大きくなると、「んだ、んだ」と全体に広がり、誰かがボスに言ったりする。
 それもチクるというのではなく「これだとやがて問題になります。そぐわない点は改善させた方が良いと思いますが、どうでしょうか。ボス」という感じだろうか。
 そうなる前に直上のボスや同僚も、何となく匂わせたりする。

 そのため組織に関係するそれぞれの立場の人間同士のコミュニケーションが、組織内の人間関係の上で大きく働く。
 「組織は人間で成り立っている」という考えが大きい。
 行動もそれに準ずる。

 よその村の事はあまり気にしない。
 だから出て行く人は出て行くし、新しく入ってくた本人がそこを気に入れば長く居る。
 「フリーダム」だ。


 昔、私が子供だった頃、日本がまだまだ村社会だった頃はいろいろな方面から
「何の筋合いでそんな事言われないとならないの?」みたいなほとんど横やりのようなコミュニケーションがさんざんあった。

 今の日本はこういうやり取りが大幅に減ったように思うし、問題解決にコミュニケーションの占める割合は米国より日本の方が遥かに少なく思う。

 会社などでは、上が決めたら絶対で、気に入らない人には誰かがアドバイスをする訳でもなく、みんなでいじめたりして追い出す様にしむける。
 「人は組織に従属する(が、多分自分はその犠牲にならないはずだ)」という考えが強い様に思う。
 それだと他の人が難しい状態になった時に対応出来ないので、自分がそうなってもどうにも出来ない。
 こういうのはあまり良くないと思う。自分一人で対応できない事例にぶつかった時に弱い。

 よその村も自分の村と同じ約束事で出来ていると思っている。
 だから怖くて、新しい村にはなかなか移れない。
 移動する自由が制限されている分、その中でどうにかしようとする「自由」だ。


 「人間に生じているほとんどの問題は人間が発している。
  天変地異は自然現象だが、被害にあった人に対応するのは人間だ。
  人間の行う事はそれぞれ相対的なものなので、絶対的な解決に至らなくても、それに適した対応をすれば良い。
  これから先はそれがますます重要となる」。

 というような対応は、米国という国から発生した組織は上手に思う。
 そして、そういうやり取りが出来る組織は、他の国に発生した組織でも伸びている。


 米国人にとって「話しても解決に繋がらない」というのが「日本は分からない」と言う事に繋がり、

 日本人にとっては「都度話して解決するのは面倒だから、最初からルール化して、当てはまらない事はその近い事項に当てはめて対応する」というのに繋がっている気がする。


 アメリカと日本では、「自由」の意味が違う。

 「意味が違う」というよりは「概念が違う」という方が、より正確に近い気がする。

 アメリカの自由とは、Freedom をさし、他人から干渉を受けない独立の事をいう。
 そのため組織の属する以上、その組織のルールの方が個人の自由より明らかに全然強い。

 「独立し自由になるには、自ら勝ち取らないとならない」というのが彼らの考えである。

 アメリカの自由というのは、自分で勝ち取る自由を意味し、これは親や組織に対してでも、独立したい側の当然の権利である。

 自分の自由を勝ち取るには、束縛のある組織から外へ出るという事で、それには移動を伴うので、
「お前にはどこへでも行ける自由な世界がある。お前は自由だ。誰もお前の権利(=移動)を束縛できない」
という考えである。

 そのため組織にいても、
「うちのルールが気に入らないなら辞めろ」
というのが普通だし、社員を辞めさせるのもかなり日本より自由だ。

 引き止める権利は誰にもないのである。
 そのため組織側にとって独立されて困るのであれば、利点が得られることになる。
 これは俗にいうと、自由(権利)と金の対価交換である。


 米イラク戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89
の03年の頃にどこかの州立高校の女子生徒が
「この戦争は間違っている」
の様な事を言い退学になった事があるが、これは当然なのである。

 「ここで好き勝手にする事は許さん。そうしたいのならよそでやれ」
という権利が、組織にもあるのである。

 これを報道した日本のキャスターの方が
「アメリカというのは自由の国ではないのか?」
という発言をしたが、いっちゃ悪いが、とんちんかんな話なのである。


 Free というのはもうちょっと意味が軽く、「伝統にとらわれないデザイン」「暇な時間がある」「無料の」というような意味合いで使われる。


 日本では Freedom は概念としてなく、「Free = 自由」の意味で使われている様に感じる。
 これが間違いというか誤解というか、要するに概念が違うのである。


 日本やアジアの自由とは、アメリカの Freedom に比べると、「責任のない自由」という感じがする。
 これは「移動する自由」は含まれないのである。また、移動する権利もたいてい低い。

 また、本人もリスクを冒してまでしたいほど願っているのではなく、「属する組織の中でどうにかしたい」という、Freedom という意味から見ると都合の良い話の気がする。

 ヨーロッパは中間みたいな気がする。私はヨーロッパに行った事も住んだ事もないが、友達からそう感じている。
 今の日本は、以前から比べると、自由の意味がヨーロッパみたいな感じになっている気がする。

 これは国の成り立ちや、家族制度、経済の発展度合いなど、そういうところが人のベースとしてあるだろうから、それぞれで違うのは当然に思う。

 アジアの事は次に書こうと思っている。

 アメリカという国が一番輝いていたのは、第二次世界大戦後からイラク戦争の頃までかなあと思う。
 世界で消費がもてはやされ、消費文化があこがれの対象だった頃に思う。

 日本では「奥様は魔女」のような TV 番組が流行っていた頃から始まる長く厚いピークがあるように感じる。あの番組は母が好きだった。
 ちょうど日本が高度成長期の頃で、その後も「大草原の小さな家」なども流行った。 

 やがて物があふれるに従い、人々の物欲は徐々に減り、今の日本では消費に対するあこがれは終わっているように思う。
 そうなると消費の質が上がってくる。使い捨てから長く使える(使う)物へと移ってくる。

 また日本市場での日本製品のクオリティは世界一なので、一生保つ気がする。
 世界では通常は電気パーツの方が先に数年も経たずに壊れるが、日本製はパーツが壊れなくて周辺部位から壊れて、今まででは思いもよらぬような頃に事故が起きたりする。
 20年を経たファンヒータがまだ使えるのは、多分日本製品だけだろう。


 今も新興国では、まだまだ消費が盛んだ。これからという方が正しい。コピーや粗悪品も盛んだ。
 お金持ちは日本製などの外国製品を買うが、一般的にはその国の経済に沿った商品が買われる。
 大抵保ちが短いから、ライフサイクルが来る頃には丁度新製品を買う事になる。


 日本では、携帯電話などは落としたりして壊れるが、物理的な衝撃で壊れない限りずうっと保つ。
 やがて陳腐化して買い替えたが、近頃は先行きに不安がある為か「使えるならちょっと古くなっても、壊れるまで使おう」という意識が高い様に思う。
 そして壊れないから、物も消費されないし、また物欲も減っているように思う。

 PC で一般的な人のする作業は、web を見るとのメールで写真をやり取りする程度で、会社ならオフィス関係の書類と PDF がほとんどだ。XP のまま大抵の事が出来る。
 さすがに SP3 になってからは後付けが多い為か重くなった様に感じる。屋上屋を重ねている感じだ。
 HD は時間が経つにつれてやがて問題が生じてくるが、直すのが面倒だから適当な頃に買い替える具合である。

 高度な作業をするとしてもそんなにパワーが必要な訳でもない。
 そうしたらそうしたで安い専用機を一台作った方が管理が簡単だし、業務用ではプラットフォームはどうでも良くなってきている。


 新興国では、PC はすごいのを欲しがる。スペックは最高で、何でもありのごちゃごちゃデコレーションの「夢のマシン」が大好きだ。
 それを自作機で作っている。

 パーツは「1週間保証」だったり、保証をなくすと安くなったりするので、消費が盛んな国はいろいろ面白い。
 いつ壊れるか分からないパーツをいっぱい載せて、保証をなくして数パーセント安くして、組み立てた後にすぐ壊れたらどうするのだろうと、日本人なら考える気がする。

 このごろは良く知らないが、以前はソフト回りはプロテクトを外して載せていた。

 作った PC でする事は同じような事だが、回線は遅いし止まるし、雷での停電も多いし、UPS はないし、ウイルスはたくさんいる。全体を考えると日本で Pen3 の 1GHz の様な旧型でやっているのよりも不安定だ。

 それでもとにかく何でもついているのが「欲しい」のである。「必要」なのではない。

 こういう「欲しい」という物欲がこなれてくると、消費文化から離れて行くのだろうが、先進国はどこでも同じような状態なのだと思う。

 米国人は自国を「ユナイテッド・ステーツ(「合衆国」の意味、US<ユーエス>ともいう)」と呼ぶ。「アメリカ」ではない。

 時たま「ユナイテッド・ステーツ・アメリカ(「アメリカ合衆国」の意味。略して USA )」と正式に呼ぶ事もあるが、これは選挙や国威を表す国際大会の時、歴史の授業の時くらいだ。
 大抵は「ユナイテッド・ステーツ( or US<ユーエス>)」だ。

 日本人は「アメリカ」と呼ぶが、米国人にとってこれだと地理的な「南米アメリカ大陸」をイメージするようだ。

 まあ呼び名は外部の人が決める事なので、その国の呼び名と外国での通称はあまり関係ない。
 日本も、JAPAN や ジャポネ、リーベンなどいろいろ呼ばれている。
 日本国内でもつい先日、「にほん」でも「にっぽん」でもどちらでも良くなった。それまでは「にっぽん」に統一しようとしていた。しかしそう呼ぶのはバレーボールの「にっぽんチャチャチャ」の時くらいに思う。茶化しているのではない。
 
 
 
 中国では米国を「美国」呼ぶ。「メイグォー」である。
 アメリカを米国と呼ぶのは日本だけである。「亜米利加」の「メ」の米が米国と呼ぶようになった由来である。
 中国で「米国」といっても通じないから気をつけてほしい。「米国」というのは漢字じゃないのである。
 
  
 
 米国人にとっては米国は州の集まりだから(ちなみに合衆国と呼ぶ時は「衆」である)、「仲間に入りたいんだったら入れてやってもいいよ」という気持ちが存在するように感じる(法的な問題はいろいろあるだろうがそれは置いておく)。

 日本人には NY、LA が米国の有名な都市や州だと思うが、「準州(テリトリー)」、直轄領、自治領、自由連合州(コモンウェルス)というのもある。

 「仲間に入りたいんだったら入れてやってもいいよ」の結果である。
 半ば強引な結果もあるのかもしれないが、強引は当事者以外知らないから、それを通し続けるとそれが国際的に認知されたりもする。


 これが日本人だと、「誰でもウエルカム」というのはあまりない気がする。
 個人ですらそうだし、どこかの地域や国が「土地ごと仲間に入れてくれ。油や金をたくさん埋蔵しているぞ。人力も余っている」と言ってきても、
「いや、ちょっと待ってくれ。こっちにもいろいろ事情がある。出張で日帰りできないと奥さんに怒られる。日本語が通じないのは外国みたいでそれも困る」
とかなりそうである。


 話が飛んだ。どうも脱線が好きだ。

 米国人と話していて不思議に感じることがあるのだが、外国に対しての敬意というのが私たち日本人よりも少ないように感じる。

 「入りたいんだったら仲間に入れてやってもいいよ」というのが、それがビジネスや学業にも通じているように感じる。
 だから米国の通商や法は、相手からいわれない限り「私の知っているそれが正しい」と思っている様に感じる。

 日本人や大抵の国の国民だと、国際法やこれから自分の商売しようとする国の国内法を基準に考えるが、米国は国際法や通商を発達させたのは自国だと思っているようで(というかそれすら思っていない。自国が標準と思っているように感じる)、ゴリ押しという意識すらないように思う。


 こういう感覚の違いというのは、とても面白い。

アメリカ文化の終焉1

 私の専門は国際政治だ。運動や生理学ではない。
 それもどちらかというとかなり戦争に偏っている。そのためインドシナ戦争以降、ライフワークそのものがその地域で、かつベトナムが中心だ。
 私はそこをライフワークの中心とするには歳が若い気がする(1965年産まれ)。ベトナム戦争そのものはあまり良く知らないが、国際政治としてみるにはその頃がここ中短期の分岐点に思う。

 それが民族学(民俗学)的な興味に繋がっている。運動や料理はその延長なだけなのである。申し訳ない。しかしこういうのが面白みを作っているのだと勝手に思っている。


 マイケル・ジャクソンが亡くなり、既に1ヶ月間ほど経つ。
 ちょっとずれるが、カレン・カーペンターが亡くなって25年ほど経つ(83年没)。

 私はカーペンターズの武道館公演に行った。中学生の頃だった。
 マイクのドームの公演も行ったらしい。実は人から言われるまでこれは忘れていた。

 これらはすべて終わっている気がする。
 もうちょっと正確に言うならば、アメリカ文化へのあこがれが無くなっているのである。

 ただしこういうのはだれか一人に突然訪れるのではなく、何となく全員がそう移行するように思う。

 もともと一国の文化を比較対象としてみていたから、私の中では「アメリカ文化へのあこがれ」はないのだが、嫌いではなかった。どちらかというと好きだったように思う。
 
 
 
 文化というのは経済的な影響はあったりなかったりいろいろだ。
 しかし気持ちの上での影響がある。それが結果的に経済的な影響ももたらす。

 「宗教的影響」というのが人々のベースにあるとしたら、「気持ちの上の影響」というのはそれよりは弱い。

 モスリムの人々は相当ずれないし、クリスチャンもずれない。仏教や神道も同様な気がする。
 例えば日本人は結婚式を外国の教会で挙げる事もあるが、精神的な支えとして初詣は無くならない様なものである。「無くならない」というよりも、そこにある事に違和感がない。エベレストや富士山のように「生まれた時からそこにある」。

 一神教や多神教の違いはあるが、この方向に行くと話が変になるので戻す(政治と宗教は私の中では相当近いためである)。

 文化はあこがれであり、気持ちの上での影響が強い。
 知らない文化へのあこがれは強い。
 「知らないのは面白い」
 これは好奇心が呼ぶものなのだと思う。

 文化に繋がる職種は面白い。
 面白いに共感する人が増えると、それは強い力を持つ。

 本は長い時間読まないと結果に至らないから、途中で飽きることもある。
 音楽や映像は時間軸に関係なく刺激を高めやすいので、どこでも喜ばれる。
 だから国に依っては他国の文化の流入を嫌う。


 その影響力が「一人のアーチスト」に集約するというのはすごく不思議な現象に思う。
 個人以外で組織としては放送局やレコード会社、プロモーターが普通にある。文化庁や文科省もある。

 しかしそういう組織によりも、アーチストそのものの力の方が明らかに強い様に思う。
 そういう組織が有効に働かないとアーチストというのも実力が発揮できないし人目に触れる機会が減る。
 しかし本人そのものがいないとどうにもならない。

 マイクがいないと、代役は誰にも務まらないのである。

 こういう本人に頼る(頼らざるを得ない)業界が今もある事も不思議な事がするが、これは人間が存在する以上変わらない気がする。
 

 日本はなんというか、斜め 45 度で国土が伸びている。

 明石市(東経135度)が標準時間だ。

 経度は 15 度で 1 時間変わるのはご存知の通りだ。
 東京から九州北部はほぼ同じ緯度の為、東西の経度のちがいで時間が前後する。

 明石ー東京はだいたい 5 度違うので 20 分日の出日の入りが早くなる。
 明石ー長崎もそのくらい変わる。

 そうなると、東京ー長崎は 40 分くらい変わる。
 これはまた面白いのである。夏至の頃は万々歳である。


 遠くで仕事がある時は、「前乗り」といって前日に入る事が多い。
 大抵は前乗り日もなにかしら仕事があるのでそれが終わってから夜に入るのだが、何も無かったりすると早めに行って、自分の休養に充てたり、その土地の史跡を訪ねたりする。

 そういうときはなんとなく夕方に近づくと店が開くのを待ちきれなくなり、「いいですか」で強引に頼んだりして、ようするに明るいうちから呑み始めるのである。
 とはいえ 1700 頃からだから、昼から呑むほどの後ろめたさは無い。

 いくら呑むのが好きでも朝まで呑むのはあまりなく、大抵は2時間程度で切り上げる。本質的には仕事で来ているはずだ。呑ん兵衛は主目的を忘れる能力が高いのかもしれない。良い点は伸ばすべきだ??。

 そうすると 1900 頃に切り上げることになるのだが、夏至の頃の長崎の 1900 は明らかに夕方であって夜ではない。

 1900 に店を出ると明るくて、
 「あれっ?」
と、とまどってしまう。

 こういうのを楽しめるから、出張は楽しい。日本も広い。
 

 「人は夏は睡眠時間が短くなる。短くても生活できる」
というエビデンスがある。

 動物をみても、冬眠は良く聞くが、夏眠は聞いた事がない。
 養鶏所の鶏は明るいと卵をたくさん産むから、昼も夜も同じ明るさの中で飼育されている、と聞く。

 ほぼ白夜の国に駐在していた人の話しを聞くと、
「夏至の頃は鳥が夜中も飛んでいるし、チュンチュン言っているしで、普通の昼間みたい。鳥はいつ寝るんだろう心配しながらビールを飲んでたの」
とどっちも寝ていない。

 白夜の国で猫を飼っているとしたら、いつも明るいとき寝ているのを見れると想像するだけで嬉しい。

 日本の夏の夜の風物詩の肝試しは出来ないようである。花火も無理か。良いのは酒と猫か。

 朝昼晩の食事は、変えるのだろうか?一緒だろうか? 変な事ばかり考えて勝手に嬉しくなっている。
 
 
 
 私自身は夏の方が睡眠時間が短い気がする。暑くて寝ていられないので起きてしまう、という方がどちらかと言うと正しい。

 そういう所からは、夏時間というのは合っているとなる。

 しかしそれを制度として1時間早めるのが妥当かというと、夏時間という制度を取り入れている国がそうだからと、単純に合わせている様に思える。他に方法は無いのだろうか。

 うたわれているような経済や省エネへの効果もいくつか疑問点がある。
 省エネ効果は少ない、または電気消費量が増えた、というものもあるが、経済波及効果があるというのは、エネルギー消費が増える事だから、それは当然である。

 健康や経済効果についてきちんとした話しが必要であろう。
 

 北半球は6月21日頃の夏至の日がもっとも昼の時間が長いと思っている人が多いと思う。

 実はそうでは無い。

 熱帯は、赤道を中心に北回帰線(北緯23度26分22秒)から南回帰線(南緯23度26分22秒)の間だ。
 その地帯では太陽が自分の真上にあるときが一番日が長い(はずだ。実は良く調べていないで書いている)。昼が長い日が1年に2回あるとなる。
 また、熱帯では一年を通して1日の昼と夜の長さがそれほど変わらない。夏も冬も1時間程度の幅で収まっているように覚えている。
http://www2k.biglobe.ne.jp/~c-navi/sun/


 北回帰線より北になると、夏至の日の昼の長さが伸びてくる。
 日本では北海道と、沖縄や小笠原を較べると、だいぶ昼の長さが違う。

 北海道に夏至の頃行くと、朝早くから明るく夜遅くまで明るい。何か得した気になり嬉しい。
 北海道の人から「朝は3時くらいから明るくなるよ」などと聴くと嬉しさのブーストが上がる。朝早く明るいのは寝ているからまったく分からないのだが、それでも嬉しい。
 呑んで酔っぱらってもまだ明るいから、早くから呑むと何となく得した気分になり嬉しい。遠慮なく浮かれていられるのである。


 欧米諸国がサマータイムを導入したくなるのが、何となく分かる気がする。
 

 アジア人は欧米人と較べると夜型だ、という説がある。
 今回、省エネの為に夏時間を採用しようかという話しもあるが、日本の医学会では反対の声もある。
 私が「朝は眠りたいから」と夜更かししてやっと見つけて来た訳ではない。


 夏時間を採用しているのは比較的欧米の国に多い様である。

 日本時間と較べると、
 中国や台湾は1時間遅い。
 ベトナム、タイランドなどの東南アジア(インドシナ)諸国では2時間遅い。
 ところがマレーシアとシンガポールはベトナムより西にあるが、時差は中国と同じ1時間だ。多分アジアで国中で早起きなのはそこだけかもしれない。というのはウソか本当か。アジア時間の中心(北京時間)に合わせているのかもしれない。
 あの辺りを一度に何カ国か回ると、時差が分からなくなる。

 (忙しい人はこれで旅行気分になってください)。
http://www.time.ne.jp/
 
 
 
 私はどこにいても遅起きな方だが、東南アジア諸国では夜更かしが大好きな人が多い様に感じて楽だ。
 台湾や中国では朝早く起きる機会が無かったので分からない。


 ベトナムは早いうちに活動をする人と、夜更かしが大好きの二通りに人間がいるようだ。というか夜更かしをしつつ朝も早いのかもしれない。それに昼休みが2〜3時間ある。

 東南アジアはどこでも騒音という概念が少ないが、ベトナムはそれにも増して騒音に対してフリーな国なので、朝早く(5 時くらい)からバトミントンをしたり、大音量で不思議な感じのラジオ体操をしている。2〜3人しかいなくても音量は同じだ。
 下げればいいのに、というのはこれも概念に無いように思う。

 それを遅起きの人間は何の違和感無くぶつぶつ言いながら寝ているのだとおもうと、面白くてしようがない。


 年中暑い国では夏時間は似合わない様に思う。彼らにいわせると「四季(三季?)がある」「乾期雨期で雨期は凍えるほど寒い」など、その国の季節の移り変わりを楽しんでいるのかもしれない。
 

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 行った事のある国(英語名でのABC順)

 オーストラリア、ビルマ(ミャンマー)、中国、インド、(日本)、マレーシア、ロシア、シンガポール、台湾、タイランド、米国、ベトナム
 

 ああ、深圳だ。昼間に酒を呑めないまま怒濤のまま着いた。
 入国も済み、チープなワルから離れ、宿を探す。
 2200頃だったように思う。十分に夜だ。

 一応ガイドブックは持ってきたので、めぼしそうな順番で電話をかける。今の携帯は便利だ。

 通話料が現地国内料金より高いが仕方が無い。SIM フリー携帯を持っていれば現地の SIM カードを入れると現地料金になるが、数日しか居ないのであれば問題ないだろう。


 いくつか電話をかけると近そうなところでホテルが見つかる。ついでに値切り交渉もする。この時点で空いていて他に客は入らないだろうから強気である。どこでもとりあえず半値を言えるようになるとまあまあだ。

 そこにタクシーを拾っていく。300円くらいだったように覚えている。100USD とはだいぶ違う。
 私は言葉は通じなくてもどうにかなるし、大抵はガイドブックのホテル名と地図を見せれば分かる。説明が心配な人はホテルに電話して運転手さんとフロントで話してもらえば良い。心配な人は元々こういう事しないか、、、。

 メーターのあるタクシーだった。途上国ではメーターの無いタクシーに乗ることもあるから、しっかりしているのだなあと変なところに関心する。レベルがずれているなあ。一応香港への窓口だし都会なのだろう。


 ホテルに入りカードを通して「明日出るかもしれないし、もっと続くかもしれない」と言ってとりあえず二日間押さえる。

 ホテルはお客さんと会うのであれば良いホテルにするし、今回みたいにとりあえず入るときはその時点でまた考える事にしている。


 部屋には LAN があって便利だ。Windows machine がおいてあるが漏洩が怖いので web mail は使わない。会社によっては社員に web mail を平気で外部で使わせる所もあるようだが禁止すべきだろう。

 LAN そのものの漏洩はどうかだが、例えばノートブックを持っていてそれをつなぐ場合だ。これは専門に近いので対策はあるにはあるが使わないにこした事は無い。空港やネットカフェの方が不特定多数なので安全である。この辺りは相手がどの程度の出方をしているかによる。ちょっとマニアな話しだ。


 お風呂に入り夕食を摂りに出かける。
 私はどの国に行っても駐在員に間違えられる。外国人という事は分かるらしいが観光客とは思われないようで多少安全だ。
 

 国境の街は面白い。貧富、猥雑、欲望が見える。偉そうに書いているが、単にヤバそうな奴らを見るのは楽しい。

 日本から海外に旅行に行くとほとんどが空路だろう。海路もあるが、韓国、中国、台湾、ロシア東部くらいだろうか。
 空路や海路であれば必ず空港や港に着かざるを得ない。大抵はその港の印象しか無いし、国が悪い印象を避けようと悪い奴らを排除しようと努力している。
 途上国では空港から出ると、タクシーの運転手や白タク、バイク、訳の分からない類い、色々よってくるが、所詮空港へ立ち入りが許された者だからいくら煩雑でも何らかの秩序を持っている。

 日本以外の大抵の国は隣の国と陸続きで接している。
 陸路で国境を越えるには、外国で行うしかないから、そのような経験をお持ちの方はあまりいないと思う。
 陸路で国境を越えるのは面白い。

 陸路でパスポートコントロールを抜けると、そこは街である。そこには人がいる。元からある街ではなく国境が出来たから街になるところも多い。
 そういう街には働き口を探そうとするまじめな人や、楽して金にならないかと考える悪そうな輩がたくさんいる。大悪でなくチープな悪である。それが面白くてたまらない。


 香港から陸路で深圳に入るとそこもバスターミナルになっている。ホテルの案内所などもあったかもしれないが使わないので覚えていない。私のように中国に入った人間と、これから香港へ出る人間の二通りがいる。

 私は大抵ホテルの予約を取らないで行く事が多い。観光ではなく仕事なのでどう予定が動くか分からないからだ。それに観光シーズンではないからどうにでもなる。一泊目を取っておくと着いた時に楽だが、出る前に予約をするのも面倒だ。

 そういう私のような人間を目当てで色々な人がよってくる。大抵は「安いホテルがあるぞ」「車付きだ」「案内するぞ」「市内のホテルは満室でもう取れない」の様な言葉でよってくる。どこか微妙な関係があるらしく最初はわっと集まってもやがて一人抜け二人抜けで、最後は一人になる。
 
 それで金の相談になるのだが、大抵は先進国価格で言ってくる。
「市内のホテルは満室で遠いところのしかないから案内して100USD で、ホテルは別に 100USD だ。」
などと言ってくるから、
「両方で 30USD ならいいよ」
くらいに適当に答えていると、相手は脈が無いと思うらしくやがてあきらめる。

 50USD くらいでも大もうけなのであろう。大抵は白タクで悪い奴らも多いから気をつけてほしい。一見まともそうに見えるのがいてもよく分からん。
 相手にしない方が良い。
 

 香港から国際タクシー?で深圳に入ると、バスターミナルに着く。名称は忘れた。バスもたくさん着いていて他にトラックやお金持ち(や党幹部?)の外車も見える。

 このバスターミナルに入管がある。ここからは中国のメインランドだ。共産党である。サービスとは無縁だ。
 人がいっぱいいる。なんでこんなに香港から中国に入るのだろうと思うくらいにいる。なにか用事があるのだろう。

 普通の入管のように自国民と外国人とに分かれている。

 台湾に入国する際は、日本語の漢字でも英語でもどちらでもオッケーである。それを知ってからは日本語の漢字で書く事が多い。

 中国でこれが通じるか。面白いから試したくなった。
 入国書に日本語の漢字で書いてパスポートコントロールに渡すと、
「これは読めない。英語で書け。トライアゲイン」
である。

 「トライアゲイン」
 である。さすが中国だ。入管に金を払う訳ではないが中国の客ではある。それに対し
「もう一度挑戦しろ」である。

 試しの日本語とダメだった時の為の英語での2枚書いておけば良かったと思いつつ、楽しめたのでもう一度列の一番後ろに並んでダラダラと進む間に英語で書き直す。

 今度は通った。混んでいるときはこういう遊びはしない方が良さそうだ。
 
 英語を書けないラティーニョやロシア人やモンゴル人はどうするのだろう?それはそれで読めないだろうが何か決まりがあるのだろう。

続く

 九龍城の上をかすめると言われた啓徳空港に一度降りてみたかったが、着いたのは新しい方だ。香港国際空港ができてそんなに経ていない頃だったと思う。

 取り急ぎその日のうちに深圳に入りたかったので、中国は深圳行きの国際タクシー?へ向かう。

 香港の入管のパスポートコントロールは先進国と同じだ。一応そういう国だ。普通に書類を書いて渡すと普通にスタンプを押してくれる。

 パスポートコントロールを抜けてそのまま出ると一つ目の両替があって、そこで両替すると同時にタクシーのチケットも買える。レートは当時は香港ドルが中国元よりも高かったが現在(2007年秋)はほぼ同じだ。

 両替のおネエさんがそのままタクシーのチケットを売るのが不思議な感覚だ。お釣りは中国元でくれた。多分いくらかお小遣いになるのかも知れない。急いでいるからまあいい。

 日本の銀行のおネエさんがタクシーのチケットを売ると考えると変だ。しかもお釣りを USD でくれるとしたらもっと不思議だ。そんな感覚だ。

 チケット代は 2,000JPY もしなかったように覚えている。JPYからの両替を3000円程度しかしなかったはずだ。常に USD キャッシュを 1USD 札でウサウサ持っているので両替はしなくてもどうにかなる。



 タクシーは満員になると出発する方式だ。閑散期は半日出ない事もある、というのはウソだ。何かしらのルールはあるのだろう、と信じる。

 誰も来ないまま心配になる頃に大抵動きが出る。何となく人が集まってきていつの間にか係の人らしいおっさんがチケットを集める。普通の服装だから「果たしてこの人に渡して大丈夫なのだろうか?」と感じるが、他の旅行者もしているから多分それで良いのだろう。

 ハイエースのワゴンのような車、客席が9人乗り位の車に7人くらいで出る。旅行者で荷物が多いから定員乗車だと辛そうだ。混雑しているときは大変だと思う。

 普通の高速道路を走る。首都高と湾岸を足したような感じだ。空港が新しいから道も新しい。

 数十分で香港出国のパスポートコントロールに着く。
 運転手が車の中で集めた全員のパスポートを束で渡して、車の室内灯を点灯する。CUSTOM がパスポートを見ながら車内を覗いて「一人、二人、三人、、、、」の様にチェックする。書類も何も無い。
 パスポートが束で戻されて個々に返される。きちんと出国のスタンプが押してある。

 ここ迄は先進国だ。間もなく中国に入る。

 続く。
 

 長距離を飛ぶ便では(NY 便など)到着前にも軽食が出る。どちらかと言うと起こす為の食事だ。


 そのようなタイミングで香港便では食事が出た(ドラゴンエア)。

 香港に降りる2時間くらい前からサービスが始まる。もう寝る時間がないし、今から呑むと困るタイミングだ。まあ酔っぱらう事は気にしない。

 そうか、振る舞い酒を減らしたいからか? 中国人や香港人はやたらと呑みそうだ。


 なぜか中国ビールが日本から向かうときにも出る。
 もっと南方の飛行機だとビールを頼むと「氷は?」と聞いてくるが、香港便だとなぜか聞かれなかった覚えがある。きっと都会なのだろう。

 食事の内容は忘れた。中華ぽかったが日本発だから日本で作っているものだ。


 腹は減るし、寝るに寝られないし、起きるにはしゃくだし、いきなりやられっぱなしだ。
 次は負けない様にしよう。

 香港と深圳は一回しか行った事が無い。

 香港はイギリス領だったが私が行ったのはそれ以降だ。深圳に用事があっての事だったが香港に降りた。深圳便はほとんどないし、当時は成田からは直航が無かったように覚えている。
 香港に着くと深圳はすぐだ。このときはドラゴンエアーだ。


 香港便は変な時間に食事が出る。時たまそれ便だけがそうだったのかは、一回しか乗った事が無いから分からない。

 通常、水平飛行になるとドリンクサービスが出て引き続き食事が出る。
 私は直前迄仕事をしていていつもギリギリに成田に入るから、食事を摂る時間がない。
 変な時間に摂って機内食が楽しめないのもつまらない。
 機内食はおいしくはないが、酒が呑み放題だし(これは非常に有効だ)、その国ごとの変わったものが食べれて面白い。
 変わったワインやビールも最高に楽しめる。おいしいかどうかは別だ。氷が入ったビールなども乙である。


 いつもの通りで機内食のタイミングを考えているし、食事を取る間がないから大抵空腹で飛行機に乗る。時たま乗る直前にビールを引っ掛ける事はある。

 離陸後のある程度の上昇が終わるとコンピュータが使えるようになる。仕事が残っているからマックを開いて書き物をする事が多い。

 英語でアナウンスが入るが仕事をしているとほとんど聞かない。
 中国語はまったく分からないから何を言っているのか分からない。多分食事の事も言っているのだろうが分からない。
 いつもの具合で食事が出ると考えているからなおさらだ。

 書き物をしていても気持ちはビールと食事に移行する。腹が減っているのはまぎれもない事実だ。

 ところが全然なのである。1時間経ても、2時間経ても、食事が出ない。

 廻りの中国人の人たちはすごい勢いで何か喋っているし大声で笑っている。すごいエネルギーだ。「食事はいつだ?」とは聞くに聞きにくいくらいだ。こっちが貧乏そうだ。

 5時間から6時間の飛行のうち、前半の3時間が過ぎても食事の音沙汰がない。そのうちマックのバッテリーが切れるので仕事も終わる。

 水を持ってきていないから喉が渇くし仕事はできない。荷物も前部持ち込みで済むように軽くする為に、本などは無いから読むものも無い。機内の雑誌は中国語しかない。写真は分かるが意味は分からない。真剣に読めば分かるが頭を雑誌の為に使いたくない。日本語もあるのかもしれないが探したり聞くのも面倒だ。

 食事は無いのだろうとあきらめると同時に、ドラゴンにはもう乗らないと決意して、しょうがなくふて寝する。


 寝入る頃に食事のサービスが始まる。

 続く。

 アジア圏、オセアニア圏は NZ が一番早いが、ウラジオストク、日本、韓国、台湾、中国、香港、ベトナム、マレー、シンガポールくらい迄は時差をあまり気にしなくて良いから楽だ。
 国によっては電話しても繋がらないから途上国は楽しい。伝言しても必ず忘れてくれる。
 そういえばシンガポールは1時間遅れだ。経度としては2時間の差があるのだが早起きが好きなのだろう。シンガポールじゃなくてよかった。

 インドくらいになると 3h だから昼飯に変にかぶる。でも彼の国とはあまりお取り引きが無いから気にしない。

 スタン系の国は6時間くらいだがこの辺りから面倒になる。こちらが仕事が終わる頃向こうは始まったばかりで忙しい。
 それでも2時間程度はオーバーラップするからまあ良い。

 ヨーロッパやイギリスになると 8〜9h だから面倒だ。仕事が終わるころに向こうが始まる。
 こっちはもう疲れているか逆にテンション上がっているかだが、そういうタイミングで電話するのはちょっと面倒だ。

 アフリカは付き合いが無い。

 南米は12h 前後だ。ここいらはお国柄か一日中穏やかで、いつでも良い感じでゆるゆるしている、といったら失礼か。そういえばお国柄ではないな、全部だ。あまり言葉は通じなくても大分気が合うのが多い。

 NY は13h だ。どちらかが家に帰ってからとかそんな具合だ。皆が携帯を持っているからどこかでは繋がるから大分楽になった。
 西海岸がめんどうだ。16h だと思う。こちらの朝が向こうの夕方だ。朝から英語は面倒だ。かといって向こうの朝はこちらの未明だ。日本の2500 頃だと向こうは仕事が始まったばかりだ。その時間迄呑まないで電話に備えるのもなんとなくバカらしい。
 とはいえ西海岸の奴らはゆるゆるしていて面白い。電話して伝言を残しても忘れる。どちらかと言うと東は仕事っぽいから好きじゃない。
 ハワイは付き合いが無いから分からない。


 書いていて分かったのだが、時差が問題でなくつきあっている人間の関係でその国が好きか嫌いかが分かれているようだ、、、。類友か、ゆるゆるしている輩が多い。

 そういえば近頃スカイプばっかりだ。電話はほとんどしないなあ。出たくない時はスカイプを「不在」にしているのだろう、、、。まあ、みんな一緒か?

 電話は問答無用で繋がるから金を払う分の効果がある。
 

 外国のお友達というかお取引先様というか、彼らは良くフリーメールを使う。日本や米国のように自社ドメインを持っている会社はそれほど多くない。

 ビジネスなので同じ題名のままでやり取りする。携帯メールでは徒然なるままに題名を変えつつ行うようだが、仕事だとそういう訳にも行かない。

 面白いのが reply の際のメールヘッダーである。

 日本語や英語であれば、
> On 2007/10/22 23:55, hisa wrote :
> 先日はありがとうございました
> 標題の件ですが、、、

の様にスタンプされるが、それが英語圏でない yahoo では現地語で入る。

 中国語では中国語で、ベトナム語はベトナム語で。しかし飽きてしまった。

 スペイン語やポルトガル語、フランス語はあまり見ないので乙である。

 ロシア語のキリル文字などほとんど目にしないのでたくさん面白い。
 

 私はベトナム語は全然だめだ。発音も悪いらしい。

 広東語の派生語と言われるので、まじめにやればどうにかなるのかもしれないが、北京語は多少分かっても広東語は分からない。
 面倒だから近頃は新しい言語は勉強しない事にしている。


 ベトナム人は面白い。多分アジアのなかで面白い方だろう。
 昨日書いた中国語のような状態になると通常は困ってしまうが、ベトナム人はそういうのを気にしないようである。

 彼らは何語で話しかけてもうなずく。うなずくのでそのまま続けると、さも分かっているかのようにうなずく。
 それを私は信じた。

 やがて立ち上がってどっかに行ってしまう。
 「分からない」とか一切なしだ。

 彼はまったく何も分からないまま、数分間私にうなづいていたのだと思う。

 そういえば、英語でも日本語でもどちらでも同じ反応をする。彼らの民族性か国民性か?

 日本は勤勉に思える、、、。

  私は中国語の発音が良いらしい。ネイティブ並だそうである。しかし良いのは発音だけだ。意味は全然分からない。

 発音が良いのは以前音楽をしていたからだろう。イントネーションやニュアンスが良いようだ。自分では分からないが録音してみると中国人の発音みたいだ。


 私が言えるのは、「ニイハオ」「おいしい」「きれい」程度である。小学生以下だ。女性を対象に用いる言葉も多少は入れ知恵された。でもその程度である。あくまで「言える」のであって、会話ではない。

 二つ三つ知っている言葉をつなげると、初めて会う人には良く聞こえるらしい。
 「こんにちは。よい天気ですね」程度で相手は「この人は中国語を喋れる」と判断するようである。

 これは完全な誤解である。私には何も分からない。でもたどたどしい発音は私には出来ない。しようと思って上手く発音している訳ではないので、それ以上もそれ以下も出来ない。


 これは本当にすごく困る。

 相手は勝手に私は中国語が喋ると判断して一気に話しかけるが、私には何も理解できない。理解どころではない。何を言っているのかすら分からない。中国語だという事だけは分かる。もしかしたらそれすら分からないのかもしれない。

 そのうちに相手が困るか怒りだす。
 こっちはもっと困っているのだが、、、。
 

熊猫曲奇 である。中国のお土産だ。

熊猫 はご存知の通りパンダだ。
曲奇 が分からん。普通なら分からないだろう。

分かる方は、中国語の勉強をされている方か、そうでなければ頭が柔軟な方か、または中国人に近い思考展開力のお持ちの方だろう。

クッキーである。



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