こころ(考え方)の最近のブログ記事


 医療と運動の違いを考えてみると、

 医療の場合は、
・緊急度に伴う優先順位や期限がある(蘇生では5分間以内などもある)。
・病気やけがなどから元の状態へ戻すと、行うべき事が明確である。

 運動の場合はそれとは異なり、
・期限が無い(競技選手は期限があるが、大抵は明確な期限が無い)。
・現状から発展させることなので、計画が建てにくかったり、目標があやふやになりやすい。

 という違いがあると思います。


 運動の場合は、緊急度が見にくいのと、また計画が明確でなくても、特段無理をしなければ危険度も低いので、好きな事だけを選ぶ事も出来ます。

 しかし、競技選手のトレーニングや特定の目標に向かって身体の改善を図りたい場合には、このような選び方は適切ではないでしょう。

 運動やトレーニングを通じて身体の変化を狙うには、時期や期限を明確に捉える事が重要と考えています。

 例えば人間の成長の過程を、
「成長期(幼児期、少年期、成長期。通じて背が伸びている期間)」
「成人期(青年期、壮年期)」
「高齢期(前期高齢期、後期高齢期)」
と分けるとし、それぞれの段階で必要な事を行うのと、

 また同じ年齢としても、
「導入期、発展期、円熟期」
程度に分ける必要があるでしょう。

 また、その人の、運動経験や現在の健康状況等でも、適切なものを選ぶ必要があります。
 健康状態を計るには、既往症やくすりの服用、生活習慣、血液分析値、体脂肪率、筋肉や骨や関節の状態などから見ますが、一般的な人ほど健康状態の幅が広く、
「本格的な運動をするのが初めて」という女性や、
「昔は高校球児だったから体力には自信がある」というメタボおじさんのような様々な人がおられます。

 ウォーキングのような有酸素運動であれば集団指導もしやすいですが、本格的なトレーニングでは誰しも同じ内容で行うのは当然無理があります。
 さらに、成長期や性差も含めて考えるべきでしょう。


 私はこのように、
「全体を俯瞰しそれぞれの段階で必要なものを適切に行うこと」
が、あるべきトレーニング(身体の向上、訓練)の姿と考えています。

 そのためトレーニングプランを組む場合は、競技選手とすると、
「最終的な目標は、○○のような選手になる事。
 暫くの目標は、この技術をこうする事。
 そのためには、ここをこう改善する必要がある。
 だから今の時期は、このようなトレーニングをこの様に行う事が必要である」

というような組み方になります。

 ビルディングやシェイプアップ、健康運動や高齢者の方の運動でも、取り組み方は全く一緒で、


 ところが唐突に方法論から入る方が半分くらいおられる気がします。

 「なぜこの段階でそれが必要なのか?」
という検討がないまま、
 「これにはこのフォーム」「ウエイトリダクションはこうやって行う」というような、本来は全容を決めた後に選択すべき方法論が最初に来ている例を見かけます。

 このような組み立て方だと、必要度から組み立てている訳ではないので、危険性が増えたり、効率が悪くなる可能性が十分に含まれます。



http://hisajp.com/2010/01/post_363.html


 20年くらい前は、医療でも定量化が始まったばかりだと思います。

 その当時は、定量化という均質が作れた訳ではなく、それぞれの医師の先生の個人的経験や技量に期する部分が多かったように思います。
 やがてデータを客観視し、数値で判断する割合が大きく広がり、数値に基づいて処置が進むようになってきました。
 そのため、個人的経験や技量で対応していた事が、経験に関わらず行えるようになってきました。

 高度な経験は高度な技術に用いられるようになり、やはりゴッドハンドの先生はいつの時代も居られます。
 
 
 
 では運動はどうか。
 運動には、「競技という技術要素」と、「トレーニングという身体要素」の二つが含まれます。

 競技の場合は、競技技術と身体要素の合計が、競技成績を左右します。
 競技の成績は優勝、準優勝のような相対的な数値で表す事が多いです。
 陸上競技や水泳などではタイムによって成績を表します。

 しかしこれらは技術要素と体力要素の合計のため、身体能力を分析して成績が分かるものではありません。
 そのため身体要素だけを計るのは難しく、競技成績というもので計る事が多いです。
 また、今回の主題の「トレーニングの定量化」と異なります。


 トレーニングの場合は、身体要素がほとんどで、これは行おうとすればほぼ数値化できるものです。
 そのため、ほとんどの要素はある程度狙って向上できるものです。

 そのためにはきちんと計測して客観的に判断する必要があります。
 例えば、トレーニングや身体に関連の深い指標や測定方法には、

・体重、体脂肪率(二重X線、CT、水中法、空中法)、皮脂厚、周囲径、筋断面積
・心拍数、運動時血圧、血中乳酸濃度、血液分析、呼気ガス(Vo2max)
・垂直跳びや各種走行系のテスト、柔軟性
・1RM 重量、反力、トルク、動作解析

などがあります。

 これらには、医療機関や研究機関でしか出来ないような測定もあり、そのようなものは現場で行うには荷が重いです。
 しかし、年に数回決めて行うような定時的な測定をしているかというと、これもあまり行われていないと思います。
 また、簡易に行える心拍系すら、現実的にはほとんど使用されていません。


 競技は上位になる選手は一部ですが、トレーニングは誰にも同じような率で発展する事が理想です。
 競技は個人に依る割合が高く、トレーニングは科学的に変化を求められるものと、それぞれは異なります。

 しかしトレーニングの現場を見ると、

・ある一定の期間の数値で結果を判断しているというよりも、都度の自分の納得で判断している割合が多い。

・経験で発展割合が大きく異なる。

・それが当たり前と思っている。

というような面が多く見られ、これでは「競技練習」と同じとなります。

 このような点が20年前と全く変わらないのでは無いかと思います。

 そのため「トレーニングの定量化」という考えが出てきにくいのではないかと考えています。



http://hisajp.com/2010/01/post_362.html


http://hisajp.com/2010/01/post_364.html


 私は、運動という手段を用いて健康や身体能力の増進を図っています。

 この「運動」がさす意味は、特定の競技やトレーニングではなく、
「主に運動やトレーニングで行う身体活動全般。広い範囲ではメンタルトレーニングくらいまでを含む」
と考えてください。


 私は、医療と運動は同一線上にあると考えています。
 どちらも人間の生理に基づいた行為だからです。

 そのなかで
「医療は、病気や怪我を治す行為」
「運動は、健康や身体能力の増進を図る行為」
としています。


 医療と運動の違いは、

・医療では、薬物の使用や外科手術のような医療行為が許されています。
 強度な運動は用いなく、運動療法をするにしても 6Mets 以下が指標となっています。

・運動では、薬物の使用や外科手術のような医療行為はできません。
 しかし運動強度を遥かに大きくする事で、相応の生理的な変化をさせる事が出来ます。

と私は考えています。
 
 
 
 医療と運動は、私の感覚として、20年前くらいは同じような段階だった様な気がします。
 その後、医療は著しく進歩しましたが、運動は20年前からほとんど進歩していない気がします。


 これがなぜかと考えてみたのですが、

・医療は、医師や看護師、療法士、検査技術士の様な専門職が行い、患者の技量は関与しない。

・運動は、自分自身で行う事が多く、本人の運動への考え方、知識や技量がそのまま反映される。

のような事からと思っています。


 実は、トップレベルの運動では、選手を含めた専門職同士で行う為か、とても進んでいます。そのため
 「運動では、トップとそれ以外では、20年くらいかもっと大きな差がある」
という方が正確な気がします。


 実は「トレーニングの定量化」というのは結構昔から言われいます。
 例えば、レジスタンストレーニングでは、

「4RM より重ければ、低速パワーが増す」
「10RM なら、筋肥大する」
「20RM くらいなら、筋持久力が増す」

というようなものですが、これらは 20 年かもっともっと前に分かっています。

 このような自然変化的な生理的な現象を数値で捉えたのは、運動の方が医療よりも早かったかもしれません。

 なおかつこれらの数値は今も適切で、人間が動物であるのと、運動が生理的な反応を利用する行為である限り、今後も変わらないでしょう。

 ただしこれはその当時に分かった現象を表しているもので、今となっては20年分の進歩があって当然のはずですが、一般的にはほとんど進んでいないように思います。

 それどころか、20年前のまま停止したようにすら感じることがあります。


 現在と20年前の、医療と運動を比べてみると、

・医療は、20年間経て、著しく進歩した。

・運動は、20年前とくらべ、一般的にはほとんど進歩していない。

と思います。


 なぜそのような違いが出てきたのか、次回考えてみたいと思います。



http://hisajp.com/2010/01/100101.html


http://hisajp.com/2010/01/post_363.html

 あけましておめでとうございます。2010年、今年もよろしくお願いします。


 私のここ数年の研究テーマは「トレーニングの定量化」というものです。

 私の、「トレーニングの定量化」とは、

 「誰もが確実に目的を達成し、継続的に発展する方法を見つけ出す事」

です。皆で一緒に同じ体操をする事ではありません。


 (定量化)
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 現在定量化は、「結果を数値で判断する事」から発展し、
「欲しい結果を得るにはどうべきかを導き出す方法」へと移り変わっているように思います。

 しかし自然科学での定量化は難しいものです。
 自然は様々な要因が絡んでランダムに変化して行く為です。

 「トレーニングの定量化」するにあたっては、最低限「トレーニング全体」を数値化する必要があります。
 本質的には「生活全般。その中での身体活動も詳しく数値化しないと出来ない」となります。
 こうなると、かなりのデータ量となり、現実的ではないでしょう。


 しかし定量化を、人体に対してでも、小さい場面ではほとんどいえます。
 例えば、
「10 秒程度以下の運動はクレアチン運動で、ほぼ最大の出力が期待できる。
 40 秒程度の運動は乳酸運動で、それに次ぐ出力が期待できる。
 それ以上の運動は有酸素運動で、出力は前2者と比べ弱くなる」
というようなもので、これは化学反応だからです。

 しかし、これが
「100m を全力で走った後に 400m 走るのと、
 400m を全力で走った後に 100m 走るのとでは、
 どちらが合計タイムが良い?」
となると、ほとんど分からなくなります。

 これらのように個別の現象はいえますが、2つ以上の現象での結果はほとんど想定が付かなくなります。


 さて、「定量化」と混同しやすいのが、「統計」です。

 「統計」は、
「この人はこうなった。あの人はこうならなかった。
 その理由は多分これとそれの違いだろう」
というもので、理由は後付けです。

 「統計」から仮説を立てるのは、通常よく行われます。
 しかし、後付けの理由をあてがって実験してみると、全然違った結果になる事が相当あります。

 ちょっと離れますが、
「霧の日は、交通事故が少ない」
といわれます。

 この理由は、
「霧の日は、走行する車の数が少ない」
からです。

 「想定」だと逆に思うかもしれません。実験も同様があり得るでしょう。


 また、「想定」と「相関」はだいぶ違っている事が多いです。
 「想定」は主観であるに対し、「相関」は事実だからです。

 そのため、自分の思いつく「想定」からは、「今後あり得るかもしれない結果」は他人に対しては全く分からないものです。
 少なくとも責任ある立場では、ここはよく考えて発言すべきでしょう。

 「相関」はもうちょっとよくなって、それより良いのが「定量化」でしょう。


 このように、
 「数値化して欲しい結果を導き出す」
というのが、「トレーニングの定量化」です。


 私のここ暫くの研究テーマの「トレーニングの定量化」というものは、

 「誰もが確実に目的を達成し、継続的に発展する方法を見つけ出す事」

です。


 すべての人に当てはまるトレーニング理論が、最良のトレーニング方法に繋がるのだと思います。



http://hisajp.com/2010/01/post_362.html


 トレーニング初期の順応期は、運動をしていない人だと3ヶ月くらい掛かるが、たとえ自己流であってもトレーニングをしていた人は、大抵は身体的順応は既に済んでいるので、フォームの調整を1ヶ月間程度すれば良い。

 それから先は目的に応じたトレーニングをし結果を追求するが、不思議に思うのは、肥大しない肥大トレーニングを続けて疑問を持たない人が多い事だ。

 「本格的にトレーニングすると、筋肉は増えない」
なんて嘘だ。
 本格的にトレーニングをして効果が出ないのでは、全く意味がない。

 本格的にトレーニングすれば、男性は 5kg/月、女性でも同様か少なくとも 3kg/月程度は、楽に増やせる。


 トップアスリートがオフシーズンにトレーニングをして、身体を作れる期間は2か月程度しか無いが、それで確実に結果を出す。

 トップだからじゃない、誰にでも出来る。

 じゃあ、逆に、
 減量期に体重や体脂肪率が減らなくて、それで減量を達成したと喜ぶか?
 それで正しい減量プログラムと言えるか?


 結果に繋がらないトレーニングはまったく意味が無い。
 こんなの当たり前だ。


 結果を確実に出すのが、本当のトレーニングだ。
 プロセスに満足ではダメだ。
 


 トレーニングというのは何か目的があってする事だから、ある意味、治療やリハビリと同じような面を持つ。

 治療は病気や怪我を治す事で、リハビリは治療を終えてから機能を回復させる事だ。
 例えば骨折していたとすると、まず医師が骨折を治療し、次に療法士がリハビリを行う。
 これには「骨折の治療と、低下した機能の回復」という明らかな目的がある。
 これで骨折が延々と治らなかったり、運動機能の回復という目的に達しない方法は、ダメなのである。


 次にスポーツとして考えてみよう。私の好きなスキーとしよう。

 これが競技スキーであれば、「成績の向上」というものが目的になる。
 その方法として、競技練習を重ね技術を洗練させたり、映像解析したり、トレーニングで体力を上げたり、といろいろな方法があるが、
 「成績の向上」という目的を達しない方法は、ダメなのである。

 スキーの楽しみ方は人それぞれである。
 例えば、ゲレンデで他の人よりはかっこ良く滑りたいとか、ウエアを新調とか、ゲレンデで焼き肉とか、恋人同士でイチャイチャしたいというのも良い。
 ダメというのはない。


 次にトレーニングを考えてみよう。

 トレーニングは何か別な目標の達成の為に行うものである。
 競技の為に行ったり、ビルディングやシェイプアップの為に行ったり、宇宙飛行士のトレーニングの類いもある。
 そこには明確な目的があり、トレーニングの為のトレーニングというものはない。

 トレーニングを効率的に続けるのに最も効果的な方法は、目的に確実に達する事である。
 生理的な機能は誰もが標準的な幅で向上するものだから、成績が平均的な指標に沿って向上しないのは、やり方が間違っている。

 トレーニングにはいろいろな方法があるが、それぞれの時点で適した方法は異なる。
 それをきちんと選択できないと、目的に近づくのが遅くなるか、一生届かない。
 競技選手やビルダー、シェイプアップの為にトレーニングをしている人で、目的に近づかなかったり、一生届かない方法は、ダメなのである。

 何が正しいかというと、目的に近づく事が正しい。


 前も書いたのだが、人は自分の信じたい頃だけを信じる。

 養老孟司先生が、バカの壁 (新潮新書)という本の中で
「頭は、理解したくない事は、最初から理解しようとしない。だから反対の者同士の話などかみ合う訳がない」
の様に書かれていたが、その通りなのである。本はうろ覚えなので違っているかもしれない。


 これは2段階か3段階からなっている様に思う。

・まず、自分の信じたい事があり、それを信じている。
・そのため他の人に「別な方法を見当するのはいかがですか」と言われても、「別な方法がある」という事自体がハナから認められない。通常はここで話が終わる。
・当然「別な方法とは、これこれこういうものです」と具体例を聞くまでには全く至らない。

 となる。
 逆に言うと、具体例を聞く段階にまで進めば、展開はいろいろある。


 思い込みがすごい強い人は、仕事をしている人でも結構多い様に感じるのだが、そういう人は何をどういっても聞く耳を持たない。
 こういう人はすごく多く、部下の上申を聞かなかったり、上司の話を聞かなかったりがある。

 専門の領域になればなるほどプロの仕事になるのだが、専門職の部下というのは大抵自分より若い。
 上級管理職にほど現場からは離れるのだから、実際に現場を動かす知識は部下の方が遥かに多い。
 その上申をきちんと聞けないと、仕事が滞ったり、違う方向へ行ったいする。

 部下は部下で自分の見ているところしか見ていないから、視野が狭くなっていて、会社や上司のビジョンと的外れな事をしたりしていたりする。


 そんな状態で会議をしても頭に入っていないので、何か問題が露呈した時に、
「そんなの聞いていない」
となる。
 大人が給料をもらって、子供みたいな事を言っている。

 そういう人はいつも同じような間違いを続けている。
 最初から何も聞いてなくて、自分の信じたい頃だけを信じているのである。


 これはトレーニングや競技練習でも一緒で、プロが見ると
「それはおかしいでしょう」というのがある。

 それはその人の発展レベルで現在不要のものだったり、フォームであったり、全体の組み立て方であったり、栄養であったりといろいろだが、とにかく整合性が取れていない。

 でも本人は自分が信じたい事だけを信じているので、
「ここをこうした方が良いですよ」と言っても、まったく聞く耳を持たないのである。

 そして意味のない事を続けて、いつまでたってもまともに発展しない。
 けがや故障に繋がる事も多いし、効果が見えないから飽きて止める場合も多くある。

 そうなって一番損をするのは本人だから、いろんな事を聞いて、知って、良くなるように進める方が良い。


 半年続けて変わらないような時は、どこかが間違っているのだから、きちんと順を追って組み立てるのが良い。
 次に進まないとその先が見えないが、確実に次に進む方法は沢山ある。
 


 知らない事はすごく楽しい。
 こんなに楽しい事は無い。
 これからたくさん知る事が出来る。
 謎がたくさんあるほど一生飽きずに楽しめる。


 私が
「知らないのは良い事で、こんな楽しい事は無いです。
 これからいくらでもチャンスがあります」
と話すと、

「馬鹿にしているのか」
「知らないなんて、あんたプロか」
「あんたと話してると頭痛くなる」
という反応を見せる人もおられる。


 世の中で分かっている事は、小学生の習う算数の足し算やかけ算のような、答えが最初から決まっているものだけの様な気がする。
 高度な数学は「世の中の現象を数式で立証できるかどうか」ということだから、答えはやりながら見つける事になる。

 算数と数学は違う。
 小学生の習う算数の様に最初から答えが決まっているものの方が、人生では遥かに少ない。
 
 
 
 身体の世界は広くて深いから、世界のトップの学者と医者と運動選手とトレーナーをたくさん集めても「何も分かっていない」というくらいのものなのだと思う。


 例えば「筋肥大」は、「10RM で何セットか本気で頑張る」を繰り返せば肥大する。

 じゃあ、
「日々の間隔はどの程度で行うと良いのか」となると、簡単に言うと「筋肉痛が消えた頃なら多分そんなに効果は変わらないだろう」となろう。

 じゃあその次に、
「最適化するにはどうすれば良いのか」
となると、最適の前提が「筋肥大」という単純明快な目的だが、

「栄養、休養、現在の身体条件、その他。そのような周辺条件は明らかに言えるか。
 ではそれが言えたとして、それを元に計画した通りに完璧に実行できるか。
 完璧に実行したところで、そもそも計画の時点で完璧な計画だと言えるか。
 新しい事項が露呈したらどうする。
 伸展に伴う条件変化はどのように考えている。
 もっと良い方法が見つかったらどうする」

程度に話しが広がる。そうなると、

 「そんな不確定な事を議論してもなにも進まないから、今やれるところから進めれば良いだろう」
となる。やらないと分からない事の方が多いのである。

 だからなにごとも
「知らないものは知らない」
「やってみないと分からない」
となる。


 もちろんそれぞれの理論は単純に言えるが、
「他の条件が重なった場合はどうなのか」となると都度全く異なるのである。

 筋肉だけでこうなのだから、心肺機能のようなその他の基礎身体的な能力が絡むと変わってくるし、そこに競技技術や審美的要素が絡むと、あきらかにもっと複雑になる。


 やらない人ほどそういう前提条件を全く関係なしに、
「どういうのが最高なんだ」
ということを知りたがる。

 周辺条件の調べようがないのがほとんどだから、知ったところで使いようがないものだ。
 知るのは面白いし大事な事だが、運動やトレーニングで結果を得るには行動をする必要がある。
 知識だけ集めて満足しても、何らかの身体活動をしないと変化が起こらないのが辛いところだ。
 
 
 
 人間の活動は、脳や筋肉、感情という様ないろいろなものがごっちゃになって行われている。

 感情はホルモンの変化で行われる化学反応だ。
 ホルモンが出ると何らかの身体的活動を伴うことがある。
 活動があると今度は別なホルモンがでて、異なる反応が現れる。

 感情が活動に影響を与え、活動は感情に影響を与える。
 玉子が先か、鶏が先か。

 運動は人間の行う活動の中のほんの一部だ。
 運動は筋肉だけで行えるものじゃない。
 美しさや奇麗さだって、筋肉と脂肪と体重だけで出来上がっている訳じゃない。
 
 
 
 やる前から今のプランが最適だと信じ込み、何かあったらにっちもさっちもいかなくなるというのでは、柔軟な考え方とは言えない。

 例えば最初から計画が完璧に作られていると思われるスペースシャトルの往復だって、出発が何らかの人為的や機械的エラーで遅れたり、天候が向かなかったりするし、戻ってくるときだって天候が悪ければ伸ばしたり、降下地点を変更したりする。
 手持ちの水や酸素の量は限られているから、いつかはどうにかしないとならないのである。

 もちろんそれぞれは計画の中に元から入っているが、そういうオプショナルプランを出せる事の方が実際には大事なのである。


 上手く行っていれば別に何も気を使わなくて良いが、プラン通りにやっていたって予定通りに行く事の方が実際は少ない。
 飲み会だってあるし、さぼりたくなる事だってたくさんある。
 家族の体調の悪いのを放っておいてトレーニングに行く事は無いだろう。

 そもそもは目的に近づく為にやるものだ。

 それらをやっていくうちに「その時点でのより良い方法」を見つけられるのだろうから、自分にそういう新しい可能性を見つけるのが、運動やトレーニングなのだと思う。


 柔軟な考え方を重ねていくと最適な考え方に近づくものなのだろう。
 突然与えられるものではないだろう。
 
 
 
 知らない事はすごく楽しい。
 こんなに楽しい事は無いのである。


 英語で Game と言った場合、試合のようなものから、遊び、勝負の行方、策略、仕事、獲物などを指し相当幅が広い。
 対象は相手チームや選手であったり、仕事や相場や動物だったりする。
 「ライバル」が対象なのである。

 日本語でゲームと言った場合、遊びの意味がほとんどで、テレビゲームの様に機械で行うなうものを主にさす気がする(英語では video game という)。
 相手が機械で人間味のないゲームである(作者とのゲームとはいえよう)。
 日本語のゲームでは「ライバル」はいるような、いないような、何とも分からない。

 日本語では「ゲームは遊び」で、「試合は本気」でやるものの様に思う。
 試合には「ライバル」がいる。「ライバル」というよりは「敵」に近いのかもしれない。

 「本気でやる遊び」という概念が、英語と較べると遥かに薄い様に思う。
 
 
 
 例を挙げると、高校野球は「試合」であって「ゲーム」ではないのだろう。

 これは日本人の倫理観が、
「果し合い(はたしあい)」
>互いに命をかけて戦うこと。決闘。 (大辞林より)
 のような「負けたらそれっきり」という考え方が日本人には染み付いていることから来ている様に思う。

 高校野球はトーナメント制で負けたらそこで終わりだから、緊張が強くいつもよりうまく出来ない事もあるし、そもそもどんな恵まれた選手でも生涯で数回しか出場チャンスが無い。どうあがいても3年間で春夏6回が上限なのである。

 文化そのものが「果し合い」を良しとするのだろう。それが潔いのであろう。
 
 
 
 英語での Game は、試合もあるし、日本語で言う TV ゲームの様なものもあるし、仕事なども Game である。
 生涯続けて行えて、降りるもの復活するのも、その参加用件さえ満たしていればいつでもウエルカムという感じである。

 「勝ち逃げ」は当然の権利である。「勝ち逃げは許さねえぞ」という子供のようなルールは無い。なおかつ
「そこまで言うなら受けてやっても良いよ。ただしそれ以上負け込んでも知らねえぞ」というのもある。

 「当然命をかけるものではない。しかし本気でやらないと面白みが分からない」
という感覚に近いのではないかと思う。


 ポーカーなどをしていても、
「今回のゲームはオレが勝つぜ」
という感じで、前回今回次回と続くものを想定している様に思う。

 一日の中でも、週を通しても、「都度一回限り」の連続で、根本がリーグ戦なのである。

 ゲーム要素(この場合は不確定要素の事)に左右される率が高いと思われるトーナメント制より、実力の差が明らかに出やすいのがリーグ制であろう。
 そのため同じリーグで長い間 Game を続けていると、上手い下手が確実に見えてくるから、上手いのは上のクラスへ行く様な感じだ。

 見ている目が、日本人(日本語を使う人?)と較べると長い感じがする。
 
 
 
 ただ、こういうものは、日本が前回の戦争で負けてから植え付けられた意識もあるのではないかと思う。

 戦前の人の話しを聞くと、
「勝っても負けても面白かった」
というのを多く感じたが、今は
「負けて面白かった」
というのはほぼ聞かない。

 勝つのが当たり前で、知っているのが当たり前で、
「そうでないといけない」
という風潮を感じる。

 これが自分で自分をしめている気がする。


 ゲームやトレーニングには正解がありません。

 足し算やかけ算の様な、
 「正解はこれ」
というものがありません。


 だからといって
「当てずっぽうに行えば欲しいものが手に入る」
という事もありません。
 

 今、考えられるベストを尽くして、

 その中で焦ったり慌てたりして、

 泣いたり笑ったりして、

 相手も同じ様にしていて、


 そういうのを楽しむ大人の行為なんです。


1、自分のトレーニングは好きにすべき

 「このトレーニングに付いて評価してください。改善点について教えてください」
 というような問い合わせを受ける事がありますが、目的値や現在までの数値変化がないものもあり、それですと評価も改善点もないとなります。

 自分の好きなものを好きにする事は全然問題がないものです。
 それに他人の評価を求めるから矛盾が生じるのです。
 そんなものは気にする必要がないのです。
 
 
 
2、明確にトレーニングを進めたいのなら、目標値が必要

 明確にトレーニングを進めたいのなら、「こうなりたい」と言う目標値が必要です。
 なぜならば、その目標に対して実行したトレーニングの成果が評価の基準だからです。

 「目的は、東京から大阪に行くことですが、今日は名古屋に到達しました」
となれば 60% を超えた程度の達成となりますが、
 「どこに行きたいか分からないけど、名古屋まで来ました。これは何 % 達成ですか?」
というのは質問にならないのです。

 そのためまずはそこを最初に決める必要が有るでしょう。

 具体的には、
 「プロ野球選手になりたいから、今年中にここまで達成したい」とか
 「今年の競技シーズンでこの記録を出さないと次ぎに行けない」とか
 「3ヶ月後に水着を着るから、それが似合う身体になりたい」
等です。

 これは長期目標であったり、中期、短期だったりしますが、都度明確な方が良いです。
 そしてその達成度を計画的に測り、トレーニングプログラムを更新します。
 
 
 
3、トレーニングの効率を追求したい場合、その求める効率が何なのかを考える必要が有る

 プロの場合はかかる経費よりも時間が大事ですが、それがすべての人に同じかと言うとそうではありません。

 あなたの目標を実現するにあたり、
 「なるべくお金をかけないで達成したい」とか、
 「お金に糸目を付けず半年以内でどうにかしたい」とか、
 「なるべく楽してどうにかしたい」
などの条件が出てきます。

 それらを明確にしないと、効率そのものがありえません。
 目標は高く条件は緩くとなると達成が難しかったりします。
 
 
 
4、プロと同じ取り組み方は必要ない

 一番重要なのはここです。

 プロのトレーナーはお客さま(クライアント)に対して結果を出さないとならないのでこのような事が厳しくなりますが、すべての人が同じに組み立てて実行しないとならないという事は有りません。

 プロの行うトレーニングには明確な目標や予算が有り、その達成の為に行うものです。
これは対象者がアマチュアの方でも同じです。

 しかしトレーニングといえども、趣味性で行うトレーニングもあります。
 そう言うものは、自分の興味の有るものを、自分のペースでやりたい様にやるのでも良いのです。

 それはプロの言うトレーニングとは違っているものなので、それを同じ評価軸でプロの判断をもらおうとする事に矛盾が有るのです。

 そんな事は考えないで好きにやるので良いです。
 
 
 
 日本人はプロと同じ事をする事が良いと考えたり、最初から効率を追求したりしますが、そんな事は必要有りません。

 難しく考えないで興味のあるところから進めて良いものです。

 やり続けているうちに漠然としながら自分の目標が出てきたり、
「これは面白いから、もうちょっと効果的になる様に勉強してみたい」
となってくるもので良いのです。

 そうなってから勉強するもので良いものなのです。


http://hisajp.com/2008/11/post_107.html

競技技術と併せた複合的(総合的)なトレーニング

 これは前々章で書いたような、多方向から見た場合の身体やメンタルの改善や、または競技技術の向上を平行して狙うようなトレーニングと私は考えている。

 前章の「トレーニング単体で完結するもの」とは異なり、どれにでもそのまま応用の効く性格のものではない。

 これは、チーム競技であれば監督の考え方に、また個人競技であれば選手の考え方に、比較的大きく左右される。

 例えばトレーナーが外部から第三者的に見ると
「ここはこのように改善した方が明らかに良いだろう」
と言う点が有るとしても、当事者がそう思わなければ改善策として採用される事はないものである。

 また、専門的な競技になるほど特異性が強くなるため、個人的な技に頼る傾向が表れる傾向にある。
 そうすると、第三者的に見たものが実際の原因と合致しているとは限らない事もある。

 そのため、競技技術に併せた複合的なトレーニングになるほど、高度な分析が必要となり、成績の向上の為にはお互いの見解を一致させる必要があるといえよう。


http://hisajp.com/2008/11/post_106.html
 

http://hisajp.com/2008/11/post_108.html

 トレーニングは、
トレーニング単体で完結するもの

競技技術と併せた複合的(総合的)なトレーニング
に分かれると思う。

 今回はフィジカル面での比較的絞った話しである。

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トレーニング単体で完結するもの

というと何か難しく聞こえるが、分かりやすく言うと「筋トレ」の類いである。
 これらはトレーニングそのもので完結するものとして今回は分類したい。

 これらには
・筋肥大トレーニング
・筋持久トレーニング
・心肺機能トレーニング
のような基礎トレーニングから、

・全身統合トレーニング(クイッククリーンなどで爆発的なに出力を計る)
・クイックネス・アンド・アジリティトレーニング(敏捷性トレーニング)
・プライオメトリクストレーニング(瞬発力トレーニング)
・バランストレーニング
・最大酸素摂取量向上トレーニング
のような、前段階の基礎トレーニングをして身体をある程度作ってから進める発展トレーニングに分かれる。


 高校生として考えると、1〜2年生のうちは頑丈な身体を作りたいので基礎的なトレーニングを中心に行い、ある程度身体が出来てきてから発展型のトレーニングに移るとなる。

 これは高度なトレーニング(発展トレーニング)になるほど身体への負荷が強いためで、身体が出来ていないうちに高度なトレーニングを行うと怪我や故障に繋がるからである。

 大学に進学したり社会人として競技に加わるのであれば、そこでレベルが上がるので、体力レベルがそれに合致しない場合はもう一度基礎トレーニングを行い、基礎的な身体能力の向上を図るとなる。

 やがて競技に必要な体力が付いてくると、トレーニングより競技練習が多くなる。
 しかし筋力が衰えてくると怪我に繋がる場合も有る為に基礎的な体力の維持の為のトレーニングをしたり、競技上不足している問題が身体面に有ればそれを改善する為にトレーニングを行ったりする。


 しかしこの辺りまでは、トレーニング単体として行える範囲として考えられる。
 おおよそこの範囲までは、競技特性による違いは有るが、どの競技を通じても応用の効くトレーニングであろう。



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 何をトレーニングと呼ぶのかと言うと、

「目的の達成の為に、身体やメンタルの能力を向上させる事」

となると思う。
 分け方や考え方はもちろん人により異なる。

 今回はスポーツのトレーニングとして、限定して考えてみたい。


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 クロストレーニング
 これは、普段行っている競技がゴルフのような片側性(一方向へのスイング)の強い運動の場合は、両方を使う様にスキーや水泳をするのが良い、というものである。

 その選手の本職はゴルフだがトレーニングとして行う事はスキーや水泳というスポーツになる。それによりゴルフの能力が上がるだろうからトレーニングである、というものである。
 こういう組み合せはいくつかあるが、何かの際に詳しく書きたい。
 
 

 分析をおこない競技成績の向上を狙うもの
 サッカーのような競技では、フィジカル面の向上が成績に繋がる事が高いと考えられる。
 80分を過ぎた頃からバテてきて相手に点を取られるような場合が考えられる。
 これは監督やコーチが戦略戦術を考えたり技術指導をしても、身体が動かなくなるのだからそれらを有効に使う事が出来ない。

 そう言うときは、今までの試合の分析をして運動量の変化を測定して、バテる理由を明確にする。

 そして問題が間欠持久力に問題が有るとしたら、
「間欠持久力トレーニング」を行い、
「食事面では、90分保つ様に摂取カロリーの向上を計るとともに、数日前から炭水化物の摂取量を多くしカーボローディングを行い、同時に胃腸の負担を少なくしたいので摂取のガサを減らせるように脂質の割合を 5% 上げる」
と言うような事が考えられる。
 これも身体能力の向上で成績を上げる行為だから、広義の意味ではトレーニングに含められると言えよう。
 
 
 
 動態分析
 走、ジャンプ、ハンマー投げ、水泳、体操競技。
 このような競技の場合、映像を撮影し力の発揮方向のベクトルを算出し、そのタイミングと方向が最適化を計る事で成績の向上に役立てる方法である。

 分析は分析者が行う事が多い。
 フィジカルトレーナーは分析結果により必要なトレーニングを計画する。
 選手は自己の映像を見たときに、どこが同時分のイメージと違うかを認識し、それを自分にフィードバックさせる。
 (実際は監督やコーチもここに加わる場合が有る)。

 これらを何度か繰り返し、理論値と実効値を合致させ、競技の向上を図る。

 これらには専門の知識や機材が必要だが、このような分析手法を用いる事で成績の向上につながる事は多い。
 
 
 
 視野トレーニング
 動的な視野の向上や、行動視野(認知される視野)を広げる事で、競技成績の向上につなげるものである。

 例えばサッカーなどでは、他の選手にパスを通すには、どのタイミングでどこを通せば良いかを考えるものであるが、仲間が見えていなければ分からないし、相手チームの選手が視野に入っていないと相手に有利なパスをしてしまう可能性もある。
 このような際に自己に有利に働く様にするトレーニングである。
 
 
 
 メンタルトレーニング
 途中まで上手く行っていたが、勝ちを意識したとたんに身体がこわばり、逆転負けしてしまったようなパターンである。

 これは簡単に言うと
・勝ちを意識する ーー> 失敗したら負けてしまうかも
という思考回路が働くからである。

 「勝ちを意識するな」と指導者はいうが実際にそれは難しい。

 そう言う場合には、
・勝ちを意識する ーー> 1回くらい失敗しても勝っているのだから大丈夫さ。
というような思考回路が働く様にしておけば、実力が発揮できる。

 このようにメンタルトレーニングとは
「こうなったときには、こう考える」
というのを自分に有利な思考回路を作り上げるトレーニングする方法であり、修行から連想される「雑念を払う」というものとは異なるものである。
(トレーニング方法の一環として修行のような過程を経る事は有ります)。


 今回はあえて通常のトレーニングとは異なる範囲を書いてみた。
 しかし広い範囲では大体このくらいまでがトレーニングであろう。


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 競技は専門技術が重要で、大まかにこのように分かれる。

・監督 ーー> 競技戦略に采配を振るう。
・コーチーー> 監督の戦略の実行に必要な、競技技術の向上を指導する。
・選手 ーー> それを実行できるだけの体力と知力が必要。

 競技技術はその種目にしか活きないものである。また専門性が高いもの
となる。
 もちろん応用は可能だが、野球のバッティング技術をマスターする事で、スキーの成績が上がるかと言うと、そういうことは考えにくい。
 
 
 
 対して、
トレーニングはどの競技に対しても普遍的に応用できるもの
となるであろう。

・身体的な基礎体力、栄養、動態分析、視野、メンタル。

 こういうものはサッカーの分析技法がバスケットボールに使えないかと言うと、そう言う事は無く、あくまで身体面からの数値的なアプローチとなる。

 もちろん得意分野はあるので、サッカーを得意とするトレーナーがレスリングのトレーニングを効率よく組み立てられるかと言うと、それならレスリングを得意とするのトレーナーの方がよいであろう。
 
 
 
 今回書いた範囲は、一般的なトレーニングの概念(筋トレや有酸素)とは離れているのかもしれないが、トレーニング、およびトレーナーの範囲というのは、最大限広い意味ではおおよそこのような範囲までだと思う。



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 私はスキーが好きです。


 ダウンヒルのような競技や、山スキー(バックカントリー)、距離スキーも好きです。

 折り詰めの寿司を持って、ちょっと暖かい日にゴンドラに乗って山の方に行って食べるもの、これもまた好きです。

 普通のゲレンデスキー場でゆっくり滑るのも好きですし、小さなお子さんを指導するのも好きです。

 平日の静かなときに、一人で動物を見つけるのもこれまた好きです。


 スキーをするのも好きですし、スキー場そのものも好きですし、あまり関係ないような事も好きです。

 昔、現役だった偏屈オヤジと酒を飲むのも好きです。
 
 
 
 でも何が一番好きかと言うと、ダウンヒルのようなスキーです。

 感覚としては、肩越しの遥か下にゴール地点があって、そこに向けて倒れ込む様に落ちて行く感じです。

 転んで板が外れると、自分で取りに行ける距離ではないで、ちょっと困ります。

 おかげさまで大きな怪我は無いですが、痛い思いや、死にそうな思いは多少あります。


 こういうのはたまの競技に加わらなければ、自己満足だけの話しです。

 効率や危険度など全く関係なく、自分が好きで満足して完結しています。


 偶然、同好だとわかり話しが進む事は有りますが、自分から率先して話す事はあまり無いです。

 飲み会などで趣味を共通としない人に話すとしてもニコニコしながら私は話すらしく、怖さのようなものは感じつつもおもしろがって聞いてくれます。


 こういう自分だけの世界は本当に面白いですし、人の評価など気にしていないので、こういうのは本当に「好き」という言葉でしか言い表せない気がします。


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 日本語の感覚で「私はトレーニングが好き」という意味は、英語では「私はフィットネス(フィットネス・エクササイズ)が好き」と言う方が近いでしょう。

 英語で「トレーニングが好き」と言うと、運動をしている場所で言わない限り「研修が好き」「訓練が好き」となり、新入社員かはたまた特殊部隊の隊員かと思われます。


 また「私はトレーニングが好き」と言われる方のお話を深くお聞きすると、それは何らかの目的の為に行うトレーニングではなくて、特定のトレーニング種目が好きな事が多い様に感じます。

 本当にトレーニングが好きなのだとすると、身体能力の全般的な向上を目指す事が好きになるはずです。

 そうだとすると、私がその人の体力レベルで最適なトレーニングだと思われるものを組むとその人には最高に嬉しいはずですが、実際にそれでトレーニングをしてもらうと、
「走ったり、跳んだり、重いのを持ち上げたり、こんなにきついのはイヤだ。もっと好きな事をしていたい」
となったりします。

 このような場合は、実際には「ウエイトトレーニングが好き」「ランニングマシンのトレーニングが好き」などの、ある特定の方向のトレーニングがお好きな場合が多いです。

 身体能力の全般的な向上の為の本質的なトレーニングをしている訳ではなく、
「好きな種類のトレーニングをしている」
「トレーニングをする事によって、漠然としていても変わって行く自分を見ているのが好き」
というものに近いのだと思われます。


 そうするとこれは本質的なトレーニングという言葉からするとあまり正しい使い方ではなく、
「レジスタンス・トレーニング・エクササイズが好き」
「有酸素系のトレーニングが好き」
と言う方が正確に近いのでしょう。


 但し行為としてはトレーニングなので、表現としては
「私はトレーニングが好き」
という形になるのかもしれません。



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 競技成績の向上の為に行うトレーニングだとすると、
1、身体測定や動態検査などで、優れている点、劣っている点を出し、
2、優れている点を伸ばし、弱い点を強化する
という事の繰り返しになります。

 もちろん、状況によりそれぞれ異なり、例えば、
 「今年で卒業で最後に良い成績を出したいので、弱い点には目をつぶり、良い点を伸ばす事に特化し、競技成績を上げるほうがよいだろう」
となったり、

 「この選手は 100m 選手を目指しているが、筋特性や心肺機能からすると 400m の特性が非常に優れている。今年を入れて3年間有るし、その後も社会人になってから続ける意思があるようなので、身体特性に向いている競技へ転向を勧めるのも方法だろう」
となるばあいもあります。

 但しこれは、どこまでトレーニングとして捉えるか、という事も出てきますので、大きなスパンでは上記のような見方をし、短期的には問題を解消したり特性を向上させるものとなることがほとんどです。
 
 
 
 高齢者の方の転倒予防のトレーニングだとすると、
「身体に無理しない範囲で、やれるところからやって行きましょう」
というようなものになります。


 健康増進の為のトレーニングだとすると、
「メタボリック症候群の改善の為のトレーニング」であったり、
「運動不足の防止の為の日々のトレーニング」であったりと様々でしょう。


 美容(シェイプアップ)の為のトレーニングだとすると、
「健康的に見える為のボディバランスの向上の為に筋肥大を伴い、体脂肪率の減少を計る」
の様になるでしょう。


 このような目的に応じ、いくつかの技法の中から適したものを組み合わせるとなります。
 
 
 
 
 例えばウォーキングというものをどう見るかですが、通常は
「誰にでも簡単にできる運動です」
と紹介される事が多いですが、

「では寝たきりの人はどうするのか。人により出来る出来ないが有るのでは、トレーニングとして有効ではない」
ともなります。


 特定の条件下でしか出来ないものは、その種目の善し悪しではなく、
「トレーニング全体の組み立て方として正しくない」
と言う事なのです。


 ここを間違うと、
「ウォーキングは有効でない。なぜならば寝たきりの人には出来ない」
「レジスタンス運動は危険で危ない。高齢者の方が足の上に落として骨折したら入院してしまい、本末転倒だ」
というような局所を見る形になり、これは避けたいものです。



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 日本では「トレーニング」という言葉はなにかの運動やスポーツの為に使われる言葉の様に捉えられていますが、英語では訓練や研修、躾けという意味合いが強いものです。

 「新人社員研修」「支店長クラスを対象とした経営資産管理トレーニング」
のようなものから、
「ドッグトレーナー」と言う言葉や「馬を調教する」というものも、どちらもトレーニングとなります。

 「運動選手の体力強化」と言うような意味はかなり限定された範囲を示す使い方です。
 
 
 
 このようにトレーニングとは、
「当社の社員として働ける様に基礎知識を研修する」為だったり、
「職に就ける為の技術を取得する職業訓練」のように、あらかじめ目的が有るものです。

 私の行っているような運動や身体の為のトレーニングでは、
「何らかの目的の達成の為に、身体やメンタルに改善の必要性があり、その問題の解消や特性の向上のために行うもの」となります。

 このようにトレーニングとは
「何らかの必然性があって行われるもの」
です。

 そのため、トレーニングの善し悪しは、
「(全員が)目的に達する事が出来たか」
「目的に達するまでの所要時間は予定通りか」
「(全員が)安全に達成できたか」
というような達成度で評価する事が出来ます。



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 スポーツへは、何らかの見返りを期待する方が増える様に思います。


 「ウォーキングが好き」と言う人がおられるとしても様々な例があります。

 「ウォーキングをすると気分が良いし、私にはウォーキングが強度的に向いている様に思うから好き」という方がおられれば、

 「散歩がてら季節の植物のスケッチをしながらウォーキングがするのが好き」という方もおられるでしょうし、

 「休みだから、ちょっと歩いて腹を減らして、旨い酒でソバでもつまんで、帰りはバスに乗ろう」という方もおられると思います。


 このように、ウォーキングにより気分が爽快になるような比較的運動の効果を求めている方もおられれば、似た行為をしているが運動の成果を求めていない場合も有ります。

 もし運動成績の向上を求めている場合は競歩となりますが、競歩の選手を見て
「おお、すごいなあ」と思っても、
「競歩をしてウォーキングの成績を向上させたい」とは直結しにくいでしょう。

 このような場合は、
 「あの人は早く歩いていても私はそうする気がない」
という方もおられれば、
 「ゆっくりで良いから、長い時間歩いてみたい」
というものもあります。

 「ちくしょう、抜かれた。抜き返してやれ」
という方も中にはおられるかも知れませんが、しかし相手は何とも思ってなかったりします。

 このように、それぞれの目的が異なるため、成績や結果で順番付けができるものではありません。

 この様な競技成績の向上を主目的としないスポーツが、健康スポーツとか、健康の増進の為のスポーツに分類される様に思っています。

 またこの場合は、目的や目標がそれぞれ異なるため、A という事例に対しては A' という推奨例があるとしても、B という事例に対しては B' しか該当しないとなり、方法論は存在しないとなります。

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 スポーツ(競技)というものは、ルールが決まっていて、その中で平等に行うものです。

 テニスが好き、ゴルフが好き、スキーが好き、などが代表的な例として挙げられるでしょうが、通常このような場合は
「上手くなりたい」という目的や期待を持って行うものです。

 そのため TV で試合を見たり、あこがれの選手に会ったりすると
「よし、オレも頑張ろう」という気になる事が多いです。

 これらはルールが決まっているので、参加者の間では価値観が等しくなりやすく、簡単に言うと試合に勝つと嬉しくなります。

 また、
「試合に勝ちたい」「競技成績を向上したい」という切実な問題や具体的な問題が生じるので、その解決に繋がる答えや、体系付けて組み立てられる方法論が存在するとなります。

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 前頁で述べた様に「好き」というものはそれだけで完結するものなので、問題自体が生じなく、解決というものが存在しません。

 また、本頁の上記の様なそれぞれの目的が異なるものは、それぞれの答えは常に違うとなり、解決に向けての方法論が存在しないとなります。満足度への対応に近いもので、それぞれで異なるものです。

 しかし「競技成績を上げたい」というような具体的な目的が生じるものであれば、それは競技の種類を問わず、解決に向けて方法論が組み立てられるものとなります。


 これは例えば「健康の為の運動」というような比較的簡易な要求だとしても、目的が有れば、方法論で解決できるものとなります。

 また、このように目的が明確なものは技量の高低に関係なく方法論によって解決できるものなので、アマチュアやプロによって異なるものではありません。

 これはどういう事かと言うと、
・プロの求める健康の増進
・アマチュアの求める健康の増進
は同じような方法となるのです。


 しかし、目的がないものは解決すべき問題そのものが存在しないので、どんなに高い知識や技術を持っていたとしても、何も変わらないものです。



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 「子供が好き」「猫が好き」「犬が好き」
 そういうものは何か見返りを期待して行うものではなく、一方的に愛を与えるものです。

 私は猫が好きです。
 猫を見ているだけで幸せで満足です。一年中猫を見ていても飽きません。
 猫とコミュニケーションを図りたいので猫語をマスターしたいと思っていますが、マスター出来なくて今のままだとしても十分幸せです。

 こういうものは、結果を伴わなくても、これだけで完結するものです。
 何らかの結果を伴えば、それもまた嬉しいものです。
 
 
 
 
 「プリンが好き」「料理をする事が好き」「本を読むのが好き」
 こういうものは何らかの満足や実用性を求め行われるものでしょう。

 私は料理が好きです。
 料理をするだけで幸せで満足です。一年中料理をしていても飽きません。
 ある程度自分で好きなものが作れる様になったので、上達の意思が有りません。
 これから先も続けていれば、何かの拍子に上達をする事があるかもしれませんが、積極的に上達を求めている訳でもありません。

 行為と結果を伴い、それだけでほぼ完結します。
「料理をして、おいしいものが食べられる」というようなものです。
 一方的な与えるだけの愛情とは異なるものです。


 とはいえ、これら二つは、その行為をするだけで目的を達成するものがほとんどでしょう。
 これらのような行為は問題が伴わないために、問題の解消や答えというものがありえません。
 他人の価値観に左右されるものでは有りません。


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 このように相手と話せる条件に有れば問題の解決というのは比較的行いやすいものですが、用語がずれていたり、お互いの理解が違っていたりすると難しくなる様です。

 例えば競技の場合は、競技技術そのものは選手の方がトレーナーやコーチや監督よりも遥かに上です。

 監督は、競技戦略の向上を通じて競技成績を上げるものです。
 コーチは、競技技術の向上を通じて競技成績を上げるものです。
 トレーナーは、身体を通じてどのように問題を解決するかを考えるものです。

 そしてこれらの重要性や優先度がそれぞれの考え方で異なります。
 これはある意味一種の賭けなので良い成績に繋がるかどうかは、それも含められるものだと思います。
 競技というのはある意味これで良いのでしょう。
 
 
 
 ではもう少し純粋にフィジカル面の向上を目指すトレーニングの場合はどうなのかを考えてみましょう。
 トレーニングというのは純粋なフィジカルの向上の為に行うものなので、たとえが適切ではないかもしれませんが、病気を直すようなものです。
 「こういう場合はこうする」というのがある程度明確にあります。

 その組み立ては理論的なものなので、データが有り、専門家が見れば、
「こういう風にしましょう」
というのが見えてきます。

 健康マニアな人でも実際に困るとなるとお医者様に頼るものです。そこでお医者様はその道の専門家として解決を図る訳です。

 スポーツやトレーニングの難しい点は、それで死ぬ訳ではないので、そこに本人の主観が入るという事でしょう。
 それが正しいかどうかが分からなくても、また理論的でなくても、それで行えます。
 結果どうなるかと言うと、上手く行く事も有れば、上手く行かない事も有ります。

 これが高度になるほどピンポイントになる訳ですが、今の環境を見ていると、高度な方法や知識が広がる様になりすごく良いなあと思うのですが、反面、どうしてそうなのかがないまま理論だけが広まっているような気がします。

 また、理論的な解決へ至る為の手順というのも抜けたままです。

 これらからすると、方法は知っているけどなぜそうするかの原因と必要性を明確にしないまま、唐突にとある技法を選ぶ様に感じます。

 そうすると、ピンポイントで狙える分、外したらリカバーが大変な気がします。



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 この問題を理解しているかが、理論的に解決に導く為に重要です。

 良く質問を受ける話しなのですが、
「効率よく行うには、どうすれば良いのでか?」
というものがありますが、
「何を効率よくしたいのか」
が質問から抜けているのです。

 これが私の最初に書いた
「相手は分かっていてくれるだろう」
という期待によりでてくるものなのです。


 効率には、対費用効果、対時間効果、同じエネルギー消費での肥大の効果、同じエネルギー消費での減量の効果、などいくつでもあり、相反するものも多いです。

 そのため上手く行かないときはここをきちんと見直す必要が有るでしょう。効率の目的を取り違えたまま、異なる方法で行っている事が考えられる為です。


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 前述のような事は、例えば女の人の声で電話をいただいたときに、

相手:「これこれこう言う条件で、こういう問題が生じていて、ここをどうにかしたいと言う話しなのですが、どうでしょうか」

私 :「じゃあこれをこうしてください」

相手:「でもそれで良いんですか?」

私 :「お話しされたのはそういう事ですよね」

相手:「えっ、でも子供の事です」

と最後に重要な条件を出してきたりします。


 こういうのは私も慣れてきたので、全体をお聞きしてからお答えする様にしていますが、そういう話し方になる事自体がご本人に中で整理が付いていないからなのだと思います。
 そうすると、本質的には当事者だけで解決できる問題であっても、全体の整理が付いていないから解決できないとなる様に思います。

 しかし、このように専門家とそうでは無い方の話しであれば、専門家側が聞くという事で解決を図れる訳です。
 
 
 
 ところが専門家同士の話しだとして、片方の人が
「相手は分かっているだろう」
という気持ちが有るとこれはちょっと大変です。

 こういうのはけっこう感じます。専門家が理論的に話しが出来ないのだと、仮説も理論的に組み立てられていないのでしょうから、理論的な問題の解決には至りません。

 こういう場合は
「行き当たりばったりで試しながら解決する」
という、専門家としてはあまり正しくない方法で解決せざるを得ないので、時間もかかり、失敗か成功するかは
「やってみないと分からない」
という話しになります。


 データを取る為に行う、というのはこれとは異なります。
 何事もデータを取らないと分からないので、
「このような目的でこのようなデータが必要だから、このような手順を取る」
というのであれば、それは理論的な手法です。


 これがデータ収集の為にものを行うのか、行き当たりばったりなのかは、最初に理論的に計画されているかどうかの違いなのですが、問題が見えてていないと理論的に解決する事は出来ません。



http://hisajp.com/2008/10/post_95.html


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 どの業界でも専門家の仕事というのは問題に対しての解決なので、その為にはコミュニケーションスキルが最も大事だと私は考えています。専門職なので当然専門の技術は既にあるためです。
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 私の仕事の本社というか元の本業?は輸出入業務です(でした)。外国の方を相手にするものなので日本の常識は通じません。
 そのため都度のコミュニケーションが大事で、またすべてを明文化しないとなりません。
 暗黙の了解というものが無いです。


 初取引のお客さまや、発展途上国内でドメスティックな仕事をされているお客さまですと、
「自分の言う事は相手は分かっているだろう」
という前提で話しを進めてこられるので、一番大事なところで吃驚するような問題と直面します。

 「分かりましたか?」「ここまで大丈夫ですか?」と念には念を押し了解を取った後でも、ほぼ必ずどんでん返しが有ります。


 これと同じものを日本国内で仕事をしているとすごく感じます。

 日本は世界でも特殊な国です。
 産業力が2番目くらいでしょうがその範囲で経営が成り立ってしまうため、外国に合わせる必要が有りません。
 自分のやり方のまま進めればどうにかなりますし、外国に向けて取引をするような部署や人数は非常に限られているので、こういう話しが必要な人も少ないです。それでも輸出大国です。


 日本で仕事を見ていると、
「相手は分かっていて当然」
という気持ちがどこかで生じるらしく、非常に非論理的な展開を多く見かけます。

 「分かっていて当然」
という強い自我ではなくても、
「相手は分かっていてくれているだろう」
というものに近い気がします。


 これは発展途上国の人の理論に本当にそっくりに感じます。


 こういうのは、運動への相談を受けるときに非常に感じます。

 身体は年齢や性別や生活内容によって非常に変わるものなので、そういう条件が表示されないと何も分からないものです。
 医療であれば「診察」という行為が法で定められているため上記のような必要な事はほぼ分かります。

 スポーツや健康に関してはそういう法による規定が無いので、電話やメールで相談を受ける事もありますが、そのような際に
「相手は分かっていてくれているだろう」
という根拠の無い期待が有る様に感じる事が多いです。



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 女性に何よりも大事なのは、立ち居振る舞いです。それによりすごく洗練されて見えます。

 例えば、若い女性の方が、骨盤後傾で猫背で膝が曲がってハイヒールを履いて歩いていると、すごく残念です。

 こういうのはトレーニングを良い方法で行っていればアライメントが整ってくるのですが、骨格に伴う筋肉の付き方や靴に問題が有ると見た目が悪くなることが多いです。
 もし骨格に問題が有る様な場合には、それを修正し筋肉の付き方を整えていきます。


 靴もいつもの靴はアライメントの補修に働くものを履き、おしゃれ用を分けるなり、できればおしゃれ用の靴もきちんとアライメントの補修に働くようなものを履くべきでしょう。
 値段の高い商品はデザインが良くてきちんとバランスが取れているので、そういうものを見ると
「この会社さんはしっかりしているなあ」
と感じます。
 
 
 
 そのようにお金で解決できるものも有れば、自分で習わないと学べないものも有ります。
 ピアノをうまくなるには自分で練習しないとなれません。ワンタッチで引けるキーボードでは当然深みが足りません。
 そういうところにその人の「生き様」が出てくると私は思っています。


 鞄の位置、座る姿勢、立つ姿勢。生活の中ではそういう時間の方が長いので、1週間に数回の合計10時間にも満たないトレーニングプログラムで改善出来る範囲は限られます。
 
 
 
 そういう身の回りの道具や立ち居振る舞いをどうしているかも考えてプログラムを組むものなので、唐突にトレーニング種目の話しをしても、一般的な話ししか出来ないのです。
 
 そういう事を全部含めて行うのがプロの組む女性のシェイプアッププログラムだと私は考えています。
 これに限らず、何事も理論的に組み立てるべきと考えています。



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 理論的にトレーニング行うには、トレーニングに起因するものと、周辺環境に起因するものとに分け、それぞれを理論的に詰めていくべきでしょう。

・トレーニングに起因するもの
1、目的は何なのか。
2、そのために正しい方法を選んでいるか。
3、プログラムの組み方に問題は無いか。
4、トレーニングは適格なフォームで行っているか。
5、同じ種目でも働きかける部位は正しいか。 ターゲットに当たっているか。
6、アイソレート種目は、きちんとそうされているか。

・周辺環境
ア、既往症
イ、骨格や筋などの身体的なもの
ウ、トレーニングの間隔は適切か。
エ、栄養面は増減含め問題ないか。
オ、精神的な条件は満ち足りているか。
カ、そのような点を本人が明確に理解しているか。
キ、トレーニングへのサポート体制はしっかり確立されているか(トレーナーなどの専門家)
ク、家族の理解は有るか。

 このような面が重要になってくるでしょう。


 トレーニングに起因するものは、大きなところから纏めて細部を詰めるべきものでしょう。森を見てからそれぞれの木を見ます。
 逆にすると本質が見えなくなります。

 対して周辺環境はそれが症状として現れやすいものですから、こっちは逆に末端から見ていく事が私は多いです。
 
 
 
 トレーニングが正しいかどうかは、結果を伴って初めて分かるものです。結果が思う様にいかないのはどこかが間違っているのです。

 きちんとしたトレーニングをするには、その前の分析に1ヶ月くらいかかるものですが、そのように問題点を明確に見つめて組み立てられたプログラムを稼働させると、1ヶ月も有ると十分に見えてきます。
 前述の「早い時期に理想に近づくべき」というのは2ヶ月も有ると、表れてきます。
 そうならないのは、理論的に原因が追及されていない為です。


 結果を伴わなくても
 「一生懸命して頑張っているのだから、結果が出ていなくても問題無いと思う」
 「まだ半年と期間が短いから、信じて続ければどうにかなる」
となると、理論的に解決できなくなります。

 結果を出す為にトレーニングをするのであって、現状維持であれば何もしなくても良いのです。
 自分を正当化する為に後から理由を付けるのは間違っています。
 
 
 
 逆に言うと、困っている選手が居るとして、お金をもらったトレーナーが何一つ身体面を向上が出来ないとなると、クビになります。

 それを自分自身の建てたプログラムで行えているかどうかなのです。



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 それぞれの女性の方の理想とする身体というのは、そういうのは最初は見えていないのがほとんどですから、いきなり理想像を具体的に上げる事はむずかしいです。

 今まではそういう理想が持っていたとしても、現実的理想とは違う「あこがれ」や「夢」のようなものでしたから、具体的に考えるのが難しいのは当然です。
 そういうのは自分の身体がどう変わっていくか体験して、初めて理解できるものです。

 また、
 「あんな風になりたい」
とあっても、その人の雰囲気に合っているのかも重要です。しかし身体が変わってくると精神面も変わってくる事が多いです。
 自分に自信がつくと行動にも表れます。こういう事は重要な事です。
 
 
 
 また、女性の場合、理想体重というのも有ります。これはシェイプアップを進めていくとあまり関係なくなってくるのですが、何となく「精神的抵抗線」があります。
 そういう面では男性のビルディングとは明らかに違います。とはいえ近頃では男性でもそういう人が増えた様に感じます。体脂肪率よりも筋肉量よりも、絶対体重を目安にする考え方です。

 シェイプアップを進めていく上で体重の増減は有りますが、筋肉は比重が脂肪より重いので、しっかりした身体の人は、体重が重かったりします。
 「この人は見た目 45kg くらいだけど 48kg あるんだ」
というような話しですが、体重計を他人に覗かれる事はあまり無いですし、大抵は今よりも減るので、気にしなくて良いと思います。
 
 
 
 そして、理想を追及するのは厳しいですが、数ヶ月へこたれずに出来るのか、そういうのはやってみないと分かりません。
 明らかに言える事は、比較的早い時期に理想に近づくべきです。そうしないと、やる気がなくなります。


 そのためにも、明確な指標があり、それに沿う明確な目標を立てて、中長期及び短期の計画を建て、それを明らかに有効に進められる様にプログラムを組むべきでしょう。

 これは「やりながら試す」のも方法ですが、出来れば最初の数ヶ月だけでもそういうのを明確に実現できるトレーナーに付いた方が良いです。
 それで自分の理想に、今までとは明らかに違うスピードで近づいているのを感じられると、本当に充実した時を過ごせます。


 
 前述した様な、

> そういうのを関係なしに
>「じゃあスクワットとカーフレイズを、、、」
>と組んで、大腿四頭筋やふくらはぎが肥大していくと悲しくなります。

> それに対してどのような手段で対応していけば理想に近づくのか。

 こうなった場合にどこが問題なのか。
 一人でする場合には、それを解決する手段を持っているのかが、重要になってきます。

 こういうのは、レジスタンストレーニングでのシェイプアップの場合は、根拠なしに行って闇雲に続ければ解決できるものではないのです。余計悪くなるかもしれません。

 トレーニングとは、理論的に追及して、理論的に解決できるものなのです。
 それが効率の良いトレーニングであり、誰しも目的に達する事が出来る「トレーニング」なのです。


http://hisajp.com/2008/10/post_89.html


http://hisajp.com/2008/10/post_91.html

 女性は前述の男性の様にはいかない思っています。

 通常の生活をされている女性のシェイプアップの場合、前記の男性の例の様に 40% の体重増を伴えば必ず成功するかと言うと、そういう事は有りません。
 コンテストレベルの人は別です。そういう人は分かっていて行うのですから、私が言うものでは有りません。そういうレベルであっても 50kg の体重を 70kg にして整えるという事は無いと思います。


 通常のシェイプアップの場合は、体重の増減も含め考え、ご自身の理想とする身体を目指すものと考えています。

1、明らかに体脂肪率が高い場合は減量から入る事が多いです。方法は色々有ります。

2、健康増進が主眼の場合には、気軽に継続できる方法を選べば良いと思います。

3、私の考える本当の意味でのシェイプアップは、ボディラインの調整(ヒップラインや胸のライン、腕の細い太い、色々)を含むものです。レジスタンストレーニングを主にその他の方法を取り入れ、総合的に組み立てます。
 
 
 
 上記の1や2の方法は、本を読んで得られる程度の知識で行えます。結果の遅い早いや、安全かどうかは、やりながら学んでも通常の体力の場合は問題ないと思います。
 3の方法は、目的に沿った答えが出るかどうかが明らかに異なる場合が有ります。


 例えば新規クライアントさんと面談させていただくと、
「この人の顔かたちや雰囲気からすると、ああいうボディが合うだろうなあ」
と浮かび上がるのですが、それがその方の理想と合致しているかどうかがまず最初の問題となります。

 これは人それぞれで違うのと、日本の女性の方はある程度のしっかりしたボディを洋画や外タレさんで見ていて理想で有るとしても自分がそうなることには違和感があったりします。

 例えば映画で胸と背の開いたドレスを着ているのでは、大胸筋や広背筋のラインが大事ですが、大抵は肩幅も伴います。
 「胸や背のラインは欲しいが、肩幅は華奢な方が良い」
というのは比較的多い要求ですが、若干相反する物です。

 ヒップラインも、ハムストリングスとのつながりはどうするか。
 腰と上体のつながりはどうなのか。その上(肩)は?
 脚の前後のバランス、ミニスカートを履いたときの腿からふくらはぎのライン、ヒールなのかパンプスなのか。
 後ろ姿か前か。

 そういうのがいろいろと絡んできます。
 
 
 
 そういうのを関係なしに
「じゃあスクワットとカーフレイズを、、、」
と組んで、大腿四頭筋やふくらはぎが肥大していくと、悲しい結果になります。


 そういう事に対してどのような手段で対応していけば理想のボディに近づくのか。
 そういうのが無いまま、ウエイトトレーニングをしても、思うような結果には近づかない事が有ります。


 そういう意味では、
>1、明らかに体脂肪率が高い場合は減量から入る事が多いです。方法は色々有ります。

>2、健康増進が主眼の場合には、気軽に継続できる方法を選べば良いと思います。

>3、私の考える本当の意味でのシェイプアップは、ボディラインの調整(ヒップラインや胸のライン、腕の細い太い、色々)を含むものです。レジスタンストレーニングを主にその他の方法を取り入れ、総合的に組み立てます。

 これら1と2のグループと、3は明らかに違うと私は考えています。
(続く)


http://hisajp.com/2008/10/post_88.html


http://hisajp.com/2008/10/post_90.html

男女の違い

 栄養の途中ですが、書きたい事が有るので先に書きます。

 容姿を整えるトレーニングでは、男性の場合はビルディングと呼び、女性の場合はシェイプアップまたはボディメイキングやボディデザインの様な言葉を使うことが私は多いです。

 このような目的のトレーニングでは、私が選ぶ方法はレジスタンストレーニング(ウエイトトレーニング)が主です。


 「女性は男性に較べ男性ホルモンが少ないため、筋肉が男性みたいに付く事は心配しなくて良いです」
という記述を時々見かけますが、いろいろな理由で私はそうは思わないところが有ります。


 まず、男性のビルディングは「失敗」が無いです。肥大に時間がかかったり余計な回り道をする事はありますが「筋が付いて明らかに失敗」という事はほぼ無いです。
 例えば、大腿四頭筋なのか、大腿二頭筋なのか。どちらが先に付いても、次に少ない方を肥大させれば良いだけです。
 コンテストレベルでは私の知らないところが有るのでしょうが、ウエストの細さなどはトレーニングと先天性の両方になります。

 前述した様に脂肪の減量はいつでも出来ますから、今回入れません。
 一般的なところでは、元が 50kg の体重の人が 70kg になれば、かなりたくましくなります。これでほぼ目的は達成されます。

 男性の場合はこのように「肥大、さらに肥大」でバランスを整えていく事が出来ます。
 そういう意味では「失敗」が有りません。



http://hisajp.com/2008/10/post_89.html

「トレーニング用語の使い方が分からない」
「トレーニング用語の使い方が間違っている」
というのは、問題ありません。

 例えば 「RM」 と 「rep」 の違いのようなものです。
 それは単語そのものは知っていて、多少使い方が悪いだけだからです。


 ところが
「レジスタンストレーニングって何ですか?」
「フォーストレップって何ですか?」
のような「用語そのものを知らない」となると、それは問題です。

 このような初歩的な用語が分からないのであれば他の知識も同じでしょうから、専門家からアドバイスを受けても分からないでしょうから、時間の無駄です。


 コンピューターの専門家の人と話すと、
「用語がわからないのでしたら、分かる様になってからやってください」
と言われます。


 専門家同士でしか使わないような専門用語を覚えろというのではありません。

 初心者用の本に書いてあったりグーグルで検索すれば出てくる様な、ある程度の用語は知っておくべきでしょうし、ご自身の理解を深める為にも必要です。


 それらにより専門家のアドバイスを今までよりも有意義に使う事が出来るようになるでしょう。

 減量に適した時期があるかと言うと、私はある様に感じています。

 医療的な問題での減量はお医者様の指示で行うものですし、競技の為の減量であれば試合に合わせます。

 今回は、一般的な例として、また日常的にあまり運動をされていない方を対象として書いてみます。


 2008.3.5 減量期間中の女子柔道選手の免疫機能に関する研究
 http://info.jiss.naash.go.jp/article/prog/article.php

 これは選手を対象とした論文ですが、選手に限らずだれしも減量時は免疫は低下すると思われます。免疫の低下の原因は不明ですが、栄養が足りないとか、食事制限によりストレスの関係があるでしょう。


 運動を開始や再開したばかりの人は、けがをしたり風邪を引きやすい様に私は感じています。

 例として、「時間が出来たから野球を再開した」「ママさんバレーに復帰」「テニスサークルに参加した」の様な方です。スポーツが楽しかったり、昔取った杵柄で無理したりが原因でしょうが、この場合、食事制限はしていない事が多いです。

 食事制限が無い分これらはストレスは少ないはずですが、それでもけがや病気は増える傾向にあります。


 減量目的で運動をされる方は、難しい目標値を掲げられ、食事を少なくし運動量を極度に増やされる方が多い様です。

 運動開始時(再開時)は、上記の様に減量を意識していなくても故障や病気が多いので、そこに食事制限を重ねると、体調が悪くなる率が増加する傾向にあると言えるでしょう。


 時々、切羽詰まった状態で「減量しなくてはなりません」と言う旨の相談を受けるのですが、お話を聞くと「薄着になるから」「連休で出かけるから」「結婚式によばれて」などが多いです。

 しかし元々季節や結婚式は分かっているのですから、切羽詰まるまで何もしないのではなくて、あらかじめ対応しておくと楽です。


 日本では年末と新年で休みや飲み会が増えますが、その時期は栄養過多になりやすいです。それで太ってきます。

 お風呂に入ったり部屋着のTシャツを着る際に、腹や腕のお肉は自分で見ているのですが、そういうときは気にしていないです。それが気温が暖まってくると、急に「痩身ダイエットしなくちゃ」と実感される様に感じています。


 減量は、食事コントロールが主です。運動は従です。これは覚えておいてください。


 私がお勧めする痩身の開始時期は、お正月休み明けすぐからです。

 そのころはまだ寒いので、無理に減量する必要はありませんが、年末年始で食べ過ぎた分を食事で戻す程度に、日々の食事をコントロールし始めると後々楽です。

 最初から急に食事を減らしたり、運動を増やしたり(始めたり)すると、風邪を引いたり寒くて関節が動かなくて故障に繋がったりしやすいので、無理する必要はありません。

 また、この頃から花粉症の対策を始めておくと良いでしょう。花粉症のアレルギーや薬などの医療的な事は言えませんが、良く聞く「ヨーグルトを食べると」とか「蜂蜜で」のような方法を続けておくと良い様です。花粉症の季節も毎年決まっています。

 花粉症が原因で春先に運動が出来ないと、脂肪は減らせても、きれいなボディが作りにくくなります。


 運動を開始する場合は、2月くらいから何となく温かい日がありますので(関東で書いています)、そういう日にすこしづつ始めると良いでしょう。

 ウォーキングやレジスタンス運動など方法は色々ありますが、強い運動は運動日で15日以上してからの方が良いので、急に強い運動は避ける様にしてください。

 野外で行う場合は、昼頃に温かい服装で行って下さい。寒い早朝から走っての心不全もあったので、そういう事は避けましょう。
 
 ジムでは寒くはないですが、移動での寒さはストレスになるので気をつけてください。


 1月から開始して3ヶ月くらいかけてシェイプアップを済ませておくと、新年度に前向きに行けます。
 5月の連休にはすらっとしていれます。

 私は完璧主義という言葉を、
「自分の目指すものの実現の為に、最大限の努力を続ける事」
としています。

 しかし、
「私は完璧主義者だから、完璧な結果が出るのが保証される迄やらない」
「私は完璧主義者だから、満足いく結果が出ないと止める」
こういうふうに考えている方もおられる様に思います。


 目標の 100% の実現には、100% の努力をしないとならないですし、
50% の努力であれば、それを上回る結果は決して出ないでしょう。

 実際は 100% やっているつもりで 50% 位の結果しか出ないでしょうし、
本当の完璧主義者であれば、決して完璧には至れない事を知っています。

 完璧とはそんなに安いものじゃないでしょう。


 でも、そういう事を続けていると、やがて雲の上に出ます。
道すがら新しい発見があったり、ワクワクするものにも出会えます。
5合目でも、視界は変わってきます。

 そういう経過が 100% の達成を手助けしてくれるのです。
スタート前の突然変異は無いのです。



 目標は、常に変わるものですし、変えるものです。
目標の設定が険しすぎれば緩やかにしましょう。
たどり着いたら、新しい目標を立てましょう。
今の目標を後生大事に取っておく必要などありません。

 誰に見られている訳でもないです。
失敗したかどうかは誰にも分かりません。
一つだけ確かな事は、自分が死ぬときに満足しているかどうかでしょう。


 知り合いのスポーツ選手や歌手なども、誰もが最初は上手くないですが、
それを続けているうちに上達してきます。


「完璧主義者」と
「失敗を恐れてやらない」
は違うものです。


 一歩進むことができると、失敗する大事さが分かります。
最初の一歩を進めないと、光陰矢の如しの人生です。

 勇気は必要ないです。普段のままで何気なく踏み出せば良いのです。


 私は背中を押してあげます。
 失敗してもいつでも受け止めます。

 安心して進めてください。


http://hisajp.com/2008/04/post_675.html

(前回)
http://hisajp.com/2008/03/post_677.html

 前回までは出力系の制御に関して書きました。それが上手い事がスポーツでの成功に重要な事でしょう。

 今日はセンサー系の人について感じる事を書きます。この分類は私の感じているところなので、人それぞれ言葉が違うと思います。

 前回書いた様に、出力系は歳とともに筋が弱ってくると難しくなります。
 対して、センサー系は鈍る事もありますが、経年を問わず発達する様です。現実的には劣ってきているはずですが、それを補完するだけの向上が別なところであるという方が正しいのでしょう。


 良くいわれる匠の世界では、熟年になる方が良い作品(工芸品)を作れます。味とかそういう事は主観の問題ですが、技術的にも向上する様に思います。

 私たち身体に関わる職業ですと、お医者様や看護士さんなどの医療系、柔道整骨師、鍼灸や按摩やマッサージ、カイロプラクティック、そしてスポーツトレーナーなどがあると思います。

 バイトでやれるようなものは当然除きますが、プロの中でも上手い人と下手な人がいます。


 技術を追究すれば、誰もが同じレベルをマスターできる方法が「医療」ですが、そのような究極の洗練された形であっても、達人もいればあまり良くない人もいます。
 技術論だけで解決できるのであれば、同じ勉強をすれば誰もが同じ技術を持つはずですが、そうとはなりません。

 医療に限らず、民間療法でも、スポーツトレーナーでも、それぞれの流派(?)では原因追究の方法がある程度確立されていますが、同じやり方をしても上手い人は上手いし、下手な人は下手です。
 
 
 私はこの上手下手は、要するにセンサー系が優れているかどうかだと思っています。

 これは経験と努力を重ねる事が大事ですが、それより前のある程度の年齢迄に発達しなかった場合は体得が難しい気がします。運動神経の発達と同じ様に考えています。
 
 
 ときどき女の人から「パーマ屋さんで肩もみしてもらったら調子が悪くなっちゃった」と聞く事がありますが、彼らは彼らなりに勉強というか、先輩から聞くだけかもしれませんが教わっています。
 忙しい中でおざなりにやっているのかもしれませんが、でもその中でも上手い人と下手な人がいます。
 
 
 これは、「それを大事だと思う気持ち」、「自分の身体の中の、相手を感じられるセンサー」などを持たないまま単に勉強するだけではマスターできないと考えています。

 その「自分の身体の中の、相手を感じられるセンサー」の開発の技法が確立されていないから、「ここをこうやって押して最後に軽く3回叩く」のような技法論に頼らざるを得ないのでしょう。そうすると下手な人はいつまでたっても下手なままです。
 
 ある程度基礎というか、勝手に感じ取れるところまで来ていれば、教えるのは楽だと思います。
 そういう人は教えなくても技術を見て盗めるので、教える必要も無いのかもしれません。
 
 
 
 やはり上手い人は人の身体を触るのが上手いです。その人の方法でいろいろな技法を持っています。結局は個人わざに回帰するように思います。
 職業専門家としては、盗める人がマスターするのでも良いと思っています。
 
 
 スポーツトレーナーは基本的には健常者を対象としますが、本人が健常にしていたいガンの人も居られれば、身体をこき使っているアスリートも居れば、ストレス街道まっしぐらの会社員の方もいらっしゃいます。

 ワッセワッセとトレーニング指導をするのは大事な事ですが、でも考えてみればそれは出来て当然です。
 そうじゃないときにどこまで対応できるか、それを伸ばす事が大事に思っています。

 「お客さまの目指すものの達成の為に、トレーニングやスポーツを選んでいる」
 と考えています。


(上手くまとまりませんが、また続く)

私が目指しているもの 6 閑話休題 達人の動きと腹筋の筋肉痛の相関性

(前回 http://hisajp.com/2008/03/post_676.html

 胴体の使い方の説明をするエクササイズをここ数日試している。かっこ良く言うと「
新規エクササイズの研究開発」だ。

 自分の身体の使い方は慣れている方法ほど楽である。しかも慣れてくるほど動きが洗練されてくるので少しの動きで効果的な動きとなる。

 下手な人は悪い癖となり、上手な人は達人となる。

 達人の動きは素人には分からない。
 楽そうに見えるから自分でも楽に出来ると思うがやると出来ない。簡単な動きほど思った様に出来ない。まったく出来ないものもある。

 これを人が出来る様に教えるのは大変だ。

 教えるのが上手い人はどこが動いていないか見極められるから、「ここをこうして」のようなコツから入り、やがてコツに頼らずに正しい動きが出来る様に指導できる(コツは悪い癖に変化する事もあるからコツは省いた方が良いと私は考えている)。
 これだと指導者の技量により成果が異なる。受け手の感性も大事だ。
 数も限られていてお金も掛かる。


 教える人の技量やコツに頼らず、同じ成果を出せるのがトレーニングであり、(文部省的な)学習であり、一般指導である。
 成果はやらないよりは良いかもが、プロに1対1で教わるよりは遥かに低いだろう。自分なりの変な癖を覚えてしまうかもしれない。
 しかし大量生産が出来て安上がりだ。


 どっちもそれぞれである。自分の目指す道を選ぶだけである。



 私のような指導をしている場合、自分の動きを明文化することは、何げなくしている事ほど説明が難しい。「見て盗め」で済むのならその方が楽である。

 ではなぜ私が明文化するかというと、それは自分の勉強の為なのである。
 自分で動きを分析すると今迄分からなかった事が見えてきて、応用方法が出てくる。
 それを溜めて引き出しを増やしているのである。


 主題からだいぶずれてしまったが、胴のサイドのエクササイズを考えているのだが、不思議な動きを色々とたくさん試すのである。通常のエクササイズの本には無い動きである。多分危ない人に見えると思う。

 それをしていたら斜腹筋が筋肉痛になってしまった。

 私の場合は外斜腹筋と内斜腹筋では(分からない人は解剖図鑑を買いませう)、胴の使いを出すのは内斜腹筋のようである。それをエクササイズで行うと外斜腹筋が分かりやすいのでそっちの方の動きになるようである。それで今は外斜腹筋の起始部が筋肉痛である。

 これを的確なエクササイズを私が作れると、あなたもきゅっとしたウエストをつくれます、、、。

 腹筋のエクスパンドは通常の動きではほぼ無いが、胴体というのはそのくらい速く動けるものなのだなあと、我ながら感心したところである。

 
お勧めの本 運動、トレーニング

私が目指しているもの 5 身体感覚の発展と私の感覚2

 前回書いた 身体感覚の発展と私の感覚1 のなかの、

> その位の段階で、なんというか、出力側のコントロールが上手くなる人と、感じ取るセンサーの精度が上がる人に分かれる気がします。前者がスポーツ競技者で後者が人の身体を触るタイプの人です。

 この点を今日は書きたいと思います。

 運動能力の発達は身体活動を通じ10歳くらい迄でほぼ止まるといわれています。ここから先は制御系が精密になる事はあっても大きく伸びるのは難しいと思います。
 10歳の時点で運動能力が80と30の二人がいるとすると、30の運動能力の人は残念がながら追いつくのは難しいかもしれません。
 伸びる可能性はありますが、既に伸びている人も同じだけ伸びる可能性もあります。そうすると追いつくのは難しいとなるわけです。

 また、運動能力の開発というのは理論化できていないので、出来上がったものを持っている方が有利となります。
 そのため運動を始めるのは子供のうちがよいといわれるのです。子供のうちは特定の競技スポーツにこだわらず、全身を動かすものが良いです。こどもの身体開発やスポーツに関しては、追って書きます。


 身体能力というのは、入力センサーの感度と、出力とその制御の兼ね合いです。

 入力のセンサーは大抵は誰しも持っている、目、鼻、口、耳、触覚などです。
 この感度の制御は経年で向上する事もあり、どちらかというと「匠」の世界では経験を経年とともに重ねる事で向上するといってよいでしょう。
 「触っただけで1ミクロンの違いが分かる様になる」といったものです。若いうちに習う必要はあるでしょうが、その後も伸びるものです。60歳の人の方が20歳の人よりも優れている場合もあります。

 対して出力系では、今の理論では体力は20歳くらいがピークといわれ、その後は「肉体の衰えを経験値で補っている」と考えられています。経験値で補う部分が「制御」の部分の発達です。
 この制御は経年とともに向上しますが、やがて筋の衰えとともに制御が思った通りに行かなくなります。
 そのため、いくら制御が良くなったとしても、還暦を越えて100m走で世界新記録を作れるかというと、それは無理でしょう。
 競技別のフィジカルの割合もあるので、単に年齢だけの問題ではありませんが、比較的出力系にはこの傾向があると考えて差し支えないでしょう。
 競技とは異なるものを含みますが、例えば、弓道や板金や裁縫などでは60歳を超えてからも伸びるものもあるでしょう。

 フィジカル面から簡単にいうと、この肉体的な出力の制御能力が高い選手が強い運動選手と言えると思います。

(続く)

身体感覚の発展と私の感覚1

 例えば普段ボールを蹴る際は、
「ここの筋を動かしてここを緩めて。時間軸的には一番目がこれで次があそこで、、、」
 の様に考える事はありません。とりあえず考えないで蹴れます。
 やり始めは上手に行かなくても、やがて習熟します。

 トレーニングの場合は、動きが遅くて筋肉を意識しやすいですし、筋肉を意識すると力が入りやすくなる事もあるので、意識する事は重要なことです。

 トレーニングのやり始めは、例えばスクワットとすると重量が掛かる事によりこの筋が働いていると意識が行きます。
「おっ、ここが大腿四頭筋て言うのか。力が入っているのが分かる」
のような感じです。

 誰かにその筋を触ってもらって、皮膚を通じてその筋を意識する様にする事もあります。
 もうちょっと正確に言うと皮膚からの入力の方向もあるのですが、ちょんちょんとつついてもらって意識するのに利用するのであれば、細かい事は気にしなくてよいです。
 応用として、力を入らなくさせたり、柔軟性への向上での使用方法もありますが、それもこの段階で考えても余り意味が無いです。
 また、こういうのは教えてもらうものではなくて、疑問を感じたら調べて、それでも分からなければ教えを乞うものでしょう。

 やがて人につついてもらわなくても、その筋に意識が行く様になります。しかし運動を伴うほうが意識しやすいです。


 そういう物理的な動きが無くても意識が出来る様になると、もうちょっと上にいきます。

 その位の段階で、なんというか、出力側のコントロールが上手くなる人と、感じ取るセンサーの精度が上がる人に分かれる気がします。前者がスポーツ競技者で後者が人の身体を触るタイプの人です。
 これは私なりの勝手な分類ですし、ものにより双方が高度なバランスで必要なものもあるでしょう。
 ここは次回に書きます。



 他の人の身体の感覚はめったに聞く事が無いでしょうから、私の感覚を書いてみます。こういうこと自体に興味がない人の方が遥かに多いのかもしれません。

 自分の身体上の経脈(つぼ)や筋膜は、ほぼ単体で意識できます。
 そのため動かすときは大腿四頭筋とかそういう大きな筋肉だけではなく、かなり細分化されていると思います。
 もともと経脈(つぼ)や筋膜は、そもそもが膜の分かれめの筋膜や皮膚と骨の近いところに出ているものなので、感じやすいのもあります。

 それぞれ単体の骨や靭帯はよく使うところは意識できますが、それ以外はうまく意識できないです。手や脚部は細かくいけますが「肋骨右何番乳頭から2cm外側」の様な指定ですと触らないと意識がぼんやりしています。

 頭蓋関節などはかなり感じますが、これは経脈の関係でしやすいのだと思われます。

 筋細胞は長いのは 30cm くらいかもっとあると言われますが、その内部での意識は出来るところと出来ないところがあります。途中に経脈があるようなつくりのところはそこでの意識は楽です。
 このため「大胸筋の停止部から内側何センチの部位のみを肥大」というのが私に出来るかと言うと難しい気がします。

 そういえば、小学校4年生のときの虫垂炎の手術の跡は、未だに違和感があります。



 解剖学上の筋肉は400種類くらいあると言われますが、それぞれの名前をすべて言えるかと言うと、私にはそれは出来ないです。解剖学の先生はすごいなあと思います。

 私は解剖学という見地よりは、自分の学んだことをベースにして発展して来た様に感じます。400よりももっと細かく意識していると思いますが、解剖学との一致はないように思います。

 その解剖学上の400の筋肉の中で、運動で主要なものは100くらいで収まる様に思います。新しい事に気がついたらその場で調べれば良いのでしょう。どんどん楽しみが増えます。



 さて、私は先の例と同じスクワットとすると、それぞれの筋に対して
 「この筋は出力を強めて、こっちは緩めてみよう。ああ横隔膜の奥が固いなあ。腰椎の何番の向きが悪いなあ。おっ、会陰からの重力線がふぬけになった。ちょっとセンターと前後軸を修正しよう」
のような遊びをしています。

 こういう意識をする様になると、やがてその範囲や応用が広がり、緊張も緩めるも好きにできる様になり、動きを伴う運動中もだいぶ楽になります。
 そうすると日常では本当にリラックスしまくりデレデレな状態になります。

 私は42歳なので関節は固くなりつつありますが、でも筋肉自体は歳を重ねるごとに良くなっている気がします。
 肩こりのようなものはどんどん無くなってきています。
 スポーツ生理学や医学とは見方が異なるのかもしれません。

 まだまだ粗いなあと感じます。この感覚をもっと上達させたいなあと考えています。
 やっと歳を取るから、歳を重ねるになってきたのかなあと。



 こういう感覚はまったく内面的な話しなので、人それぞれが全然違うのだと思います。
 そういう中で時々「なんか、感性が似ているなあ」と感じる人に出会うと楽しいです。

トレーニングは効率の追究

 同じ運動神経をもっているとすると、筋肉量が多い方が同じ運動が楽に出来ます。

 例えば筋肉量がそれぞれ 25kg と 50kg の二人がいれば、筋肉量の多い方が同じ負荷を扱うのが安易にできるからです。
 華奢な女性と筋骨隆々の男性が同じ重量のバーベルを持ち上げるのであれば、男性の方が楽に出来るのは想像できると思います。

 しかしこれはそれぞれが同じ運動神経だとしての事です。


 スポーツでは、競技者の筋肉量を増やすトレーニングをすることが多いです。同じ人間なので運動神経は同じため、筋肉量を増やす事で競技成績が上がると考えられる為です。

 しかし筋肉量が増えても運動神経は直接は向上しません。同じ負荷のものを正確に動作できる為に競技能力は上がりますが、運動神経の向上には関与していないと考えます。

 また、筋肉は重いため、増えた筋肉を有効に使えないでいると、余分な筋肉が増えるだけで抵抗になります。俗にいう「使えない筋肉」です。


 こうなると「筋肉量の増加は不要だ。だからトレーニングはしない」と言う理論も可能性として考えられます。


 しかしここでちょっと考えてみてください。
「筋肉量の増加」だけがフィジカルトレーニングなのでしょうか。

 トレーニングから身体を見ると、「筋肉量」以外には「筋持久力」「瞬発力」「全身持久力」などがあります。それ以外には

「神経系の働き」「全身の統合性」「競技技術の向上」「メンタル」のようなものまでを含めて、一人の競技者が成り立ちます。

 それぞれが必要ですし、逆に言うと一つだけを選んで向上させる事も難しいのです。「筋肥大」を狙っても他の能力の向上が付いてきます。



 競技練習とは、要約すると「神経系の伝達を正しく行える様にする習熟行為」です。

 それを続けるとやがて競技が上手になり、あわせて「筋肉量」や「筋持久力」が向上し、「統合性」もよくなり、「全身持久力」もあがるでしょう。

 これは「筋肉量」の増加だけではなく、全身のあらゆるフィジカルが向上するから競技技術も向上すると考える訳です。

 そうすると、トレーニング不要論は、競技練習も不要となります。
 でも、そうはならないでしょう。


 競技者としては、高校野球や大学野球などを見ても在学中に良い成績を残した方が、その後に良いチームに入れたりして、自分の可能性を追究できる可能性が高くなります。

 上記の様に競技練習だけをしていても、やがて全身のフィジカルも向上すると言えますが、それだと時間が余計に掛かります。

 「一生を掛けて道に精進する」のが目的なのか、競技者として可能性を追究したいのかに因っても変わるのでしょう。



 トレーニングというとなにか特別なものと考える方もおられますが、単に効率の追究と考えると分かりやすいと思います。

 競技に打ち込めるのは限られた時間ですから、ベースとなるフィジカルと競技技術を効率よく向上させたいものです。

「フィジカルやメンタルの様々なトレーニングを効率よく行いましょう」
「そしてそれを競技成績の為に役立てましょう」
というのがトレーニング論と考えてみてください。
 

身体表現

 アスリートの身体を作る場合は、競技成績に結び付く様にします。

 舞台関係者などの場合は、見た目にプラスしてその表現を伸ばせる身体を作ります。

 日舞や茶道、武芸などでは、身体はあるままで動作に主眼を置きます。結果的に身体の形状が変わる事もありますが、それは主目的ではありません。


 私が目指しているのは、動作の洗練さと身体そのもののきれいさの追究です。

 それらを、各種のトレーニングの技法、スポーツ、芸事のお稽古などで組み立てていきます。
 付随して周辺に、料理、人生や自然を楽しむ心、わずかな西洋学的な知識があります。
 技法はあくまで手段なので別に何でも良いと考えています。


 きれいになりたい要求が強い世の中ですが、もっと身体の使い方を洗練すると住みやすい世の中になるのではないかと思っています。

 動きが洗練されるだけで、その人そのものがすごくきれいに見えます。
 競技成績も無駄がなくなれば上がるものもあるでしょう。

 マナーは洗練さの現れの一つでしょうが、他の人に気を使えないと洗練された身体の使いにはならないでしょう。
 パーツとしての身体がきれいでも、にじみ出てくるものが無いと薄い様に思います。
 心の使いが、身体に出てくるのかもしれません。


 手の使い、肩の使い、胴の使い、腰の使い、脚の使い。

 こういうものが時間をかけて熟成されると、その人そのものがきれいになってくる様に感じます。
 

 私が目指すのは、「最高のおもてなし」です。

 運動や身体やトレーニングは、あくまでその実現化への為の一つの技術であり方法です。


 ジムは簡単にいうと場所貸しです。一般的なトレーニングやレッスンで、運動を通じての健康の向上はありますが、「おもてなし」という感覚を持っているフィットネスジムはほとんどないと思います。

 それがお客さまが求めているかは分かりませんし、業界としては不要なのかもしれません。

 でもそれが私の目指しているものです。
 
 
 
 トレーナーはトレーニングを指導できますが、お客さまの求めているものを感じ取れない人が多いように感じます。

 お客さまはとにかくトレーニングしたい方や、痩せたい方、運動を通じて色々な可能性を探りたい方、病後の回復に向けてのトレーニングを求めている方など様々な方がいらっしゃいます。

 ところがトレーナーやフィットネスジムは、ワッセワッセととにかくやりたい方に指導をする事しか見ていないのが多いです。
 
 
 
 ある程度の指導技術や知識があれば、お客様がけがをするのは事故を除いては少ないはずですが、トレーナーを雇ってもそのようなことの発生をかなり見受けます。

 これはお客さまを自分と同じ状況でしか考えられないのか、はたまた稼げるうちに稼ぎたいというトレーナーの気持ちから来ているのか、どちらにせよプロとしてあまり良い事ではないでしょう。
 
 
 
 お医者さまであれば年間1000万くらいは稼げると思います。お医者さまの状況は以前より厳しいですが、そうはいっても低額ではありません。

 トレーナーがどの程度稼げるかですが、1日6セッションくらいで休みを入れて月に150セッション(これはかなり厳しい数値です)。1セッション5000円とすると手取りは60万程度になります。年間で720万程度です。

 でも実際にはこんなにセッションは入らないので、売れっ子になれないと全然厳しいです。稼げる期間は20年もないです。そのため家庭を持った男性が続けるのは難しいです。

 法的には自営業の扱いになり、税金、健康保健、事故に備えての保険など色々経費が掛かります。
 
 
 単価も安いというか高いというか、難しいところです。お客さまとしては1時間で5000円だと高いと感じる方もおられるでしょう。
 
 
 
 このような身体に関わる仕事は新しい発見が毎年あるので、それを吸収していかないとついていけませんが、その知識を得るにも時間と費用がかかります。

 安定した良い仕事をお客さまに提供するには引き出しが多くないと対応できませんし、気持ちの余裕が無いと難しいです。

 その為には長い経験とそれに伴う知識が必要ですが、長くこの仕事を継続する方法が無いという、矛盾した事になっています。
 
 
 
 技術的に「この人すごいなあ」と私が思う方はおられますが、そういう方は逆にパーソナルトレーナーの域にはいないように思います。例えば何らかの民間療法施設をお持ちだったり、何らかの団体の仕事をされている方が多いです。その上でトレーナーとして指導しているように見受けられます。

 そのような経営の才がある方は良いのですが、技術職としてそういう事が出来なかったり難しく感じるトレーナーの方が多いでしょう。やはり専門職というのは経営には向いていない様です。
 
 
 
 そのような状況でトレーナー自身が「お客さまの身になっておもてなしをします」とはなかなか考えられないと思います。中にはそういうところが見える人もいますが、そういう人は私は好きです。
 

 私は「ご自身の身体と対話をしてください」と身体指導の際に言う事が多い。大抵の方はご自身の身体との対話が少ないように感じる。これはすごくもったいない。

 身体は感覚を使えば研ぎすまされる。分かりやすい例では職人が指先で1ミクロンの違いが分かるようなものだ。

 運動は最初の「学習過程」で覚える迄は動きがおぼつかないが、身体が覚えると自働化され、動きの違いが分かるようになり、最終的には運動の進行中に正しく修正できるようになる。
 身体は非常に微細だから、おしゃべりをしていたり他の事をしていたりすると、変化を感じられなくなる。そのため私のセッションではそれらは禁止だ。

 例えば歩く。私には歩くのは面白い。足裏、下肢の筋の使い方、脚の動き、胴体、、、。頭のてっぺんまで面白い。

 スクワットをするとしよう。その際の身体をどの程度感じているだろうか。
 足裏の重心置、足首の角度、すね、膝の絞り、大腿の前後筋の割合、股関節の膝関節の伸展割合、臀部、腹圧、胃の位置、バーの位置、胸の張り、肩甲骨の位置、首、あご、目線。もっと色々感じていると思う。
 それぞれを細かく対応して正しい位置に調整する。
 最初のうちはバーだけでゆっくり感じながらフォームを覚えていく。まったくウエイトがないと却って覚えにくいと思う。

 これは非常に地味な動きなので、重くして早いスポードでやりたくなるが、ちょっとそこを我慢してもらいたい。ウエイトを使わなくて違いが分かるようになってからで問題ない。それから本格的なトレーニングをするとすごい効果的だ。


 正座とお辞儀に変えてみよう。茶道でも良い。バレエでも良い。
 重心置の移動、姿勢の変化、各部位の動き。こういうものが感じとれないときれいな動きにならない。


 日常の動きで考えてみよう。
 割り箸を割る、胡椒を振る、コップから水を飲む。それら日常の動きに中できれいに磨きをかけていく。

 脚が太いとしよう。これらをどのような部位を使って立ちそして座るか、それを感じているだろうか?
 それを感じられないといつまでたっても同じままだ。


 日常の中にその人の身体があり、日常の延長に競技がある、舞台がある。

 身体との対話でいろいろな可能性が広がる。自分の感覚を高めてほしい。
 

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