140527 運動指導を辞めました。猫と暮らしています。

| コメント(0)

 私が福島県で復興活動に微力ながらお手伝いさせていただいていたことを、ご存知の方もおられるかもしれません。

 福島県に移り住んで2年半その業務に従事させていただいて、終えたのが 2013/9/30。
 埼玉へ戻って来て間もなく9ヶ月が経ます。

 実は PTSD の症状があります。これでもかなり良くなりました。
 PTSD と書くとこれは医療法に抵触するので、心理学の立場からすると「PTSD の症状がある」と書くことになります。
 そのためこれは医師の診察を経てでも、医学的な判断でもありません。

 1ヶ月以上そのような状態が継続するとそういわれるのですが、現地に居るうちからそれを感じつついて、人手が足りないことやいろいろあって、そのまま時間が過ぎるをの待っていました。
 戻ってきてから最初の数ヶ月は戻って来た嬉しさや仕事から解放されたことで、気晴らしになっていました。
 しかし仕事はやる気が出ないし、重い仕事がたまっていくし、かといって立ち向かう気力も無いで、眠れず、酒の量が増えてで、3月の頃が一番重かったです。

 治療を受けようかと思ったのですが、色々考えたのと、これも心理学の体験になるかなと色気も出して、食事を整えたり気晴らしを上手くすることで通り抜けようと考えていました。

 これまでの期間、人にいろいろと迷惑もかけてしまい反省している所ですが、反省を真っ向から正直にしてしまうと余計重たくなるので難しいです。


 私に会ったことのある方は、「hisa が PTSD の症状を持つようなことはありえない」とお思いと思います。
 そのくらい私は楽天家の能天気です。

 私が心理学に入ったのは10年と少し前で20年には届かないくらい、職場でのメンタルケアがいわれる様になった頃で、産業医の先生が徐々に関与する様になった頃です。

 最初の講習は大学で受けた様に覚えているのですが、かなり前のことですから、現在の様にメンタルや健康に関わる人ならある程度の理解を持つのが普通となる前のことです。

 その授業の始めの時に、
「メンタルの病気だからとちゃんと受け止めていない人が多いのですが、これは病気だからあなたもいつ病気になるか分かりません。どんなに健康な生活をしていても、『一生ガンにならない』と言い切れる人はいないでしょう。メンタルの病気もそういうものです」
と先生が話されたのがすごく印象に残っています。

 それから10数年を経て、多くの関係者がそれを認知し、また職場でもそのような担当者をおくような所まで環境は変わりました。

 ところがどっこい、本来であれば人の健康を見る立場で居るはずの私自身が、そのような症状となり、身動きできないとなりました。

 どういう因果なんだろうと、自分でも思ってしまうのですが、細かいことを書くわけにも行かず(そういうのをネットで書くほど勇気がないですし、またそれを読む方が良い気分になるわけでもないので、ここで詳細は書かない様にします。やがて出版したら買ってくださいな)、書いたらどんなに楽なのだろうと思いつつも、震災以降その様な立場の人が本当に多いのが続いているのだと考えています。


 それでものらりくらりとした感じですが、重い仕事に手を付けて、実際に手を付ければ数日で終わるものなのですが、スタートまでに半年以上掛かりました。

 福島に居ることは食事の量が増えて 70Kg(BMI 25)に発育したのですが、戻っても暫くそれが続き、3月半ば過ぎにとあることがあり食事をとらなくなり、アルコールも止めほぼ丸2ヶ月間(こんな長い間呑まないのは呑みはじめてから初めてかも知れません、もしかしたらヴィーガンごっこをした時は呑まなかったかもしれません)。
 体重が減少を続け 60kg を切りました(BMI 22)。
 とある日、元気があったので献血に行たのですが、アルコールを辞めたら成分分析がすばらしく良い。持病も何も無い健康な中年です。ところが心は健康ではない。


 そんなこんなでとりあえずは無事に過ごしているのですが、ブログはそのうちに再開しようと思っています。コメントやトラックバックはキツいので暫く休ませていただきます。

 充分に人と社会のために生きたと感じているので、これから先は自分と家族のために生きていきたいと思っています。
 

コメントする