私が目指しているもの 4 身体感覚の発展と私の感覚1

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 例えば普段ボールを蹴る際は、
「ここの筋を動かしてここを緩めて。時間軸的には一番目がこれで次があそこで、、、」
 の様に考える事はありません。とりあえず考えないで蹴れます。
 やり始めは上手に行かなくても、やがて習熟します。

 トレーニングの場合は、動きが遅くて筋肉を意識しやすいですし、筋肉を意識すると力が入りやすくなる事もあるので、意識する事は重要なことです。

 トレーニングのやり始めは、例えばスクワットとすると重量が掛かる事によりこの筋が働いていると意識が行きます。
「おっ、ここが大腿四頭筋て言うのか。力が入っているのが分かる」
のような感じです。

 誰かにその筋を触ってもらって、皮膚を通じてその筋を意識する様にする事もあります。
 もうちょっと正確に言うと皮膚からの入力の方向もあるのですが、ちょんちょんとつついてもらって意識するのに利用するのであれば、細かい事は気にしなくてよいです。
 応用として、力を入らなくさせたり、柔軟性への向上での使用方法もありますが、それもこの段階で考えても余り意味が無いです。
 また、こういうのは教えてもらうものではなくて、疑問を感じたら調べて、それでも分からなければ教えを乞うものでしょう。

 やがて人につついてもらわなくても、その筋に意識が行く様になります。しかし運動を伴うほうが意識しやすいです。


 そういう物理的な動きが無くても意識が出来る様になると、もうちょっと上にいきます。

 その位の段階で、なんというか、出力側のコントロールが上手くなる人と、感じ取るセンサーの精度が上がる人に分かれる気がします。前者がスポーツ競技者で後者が人の身体を触るタイプの人です。
 これは私なりの勝手な分類ですし、ものにより双方が高度なバランスで必要なものもあるでしょう。
 ここは次回に書きます。

 他の人の身体の感覚はめったに聞く事が無いでしょうから、私の感覚を書いてみます。こういうこと自体に興味がない人の方が遥かに多いのかもしれません。

 自分の身体上の経脈(つぼ)や筋膜は、ほぼ単体で意識できます。
 そのため動かすときは大腿四頭筋とかそういう大きな筋肉だけではなく、かなり細分化されていると思います。
 もともと経脈(つぼ)や筋膜は、そもそもが膜の分かれめの筋膜や皮膚と骨の近いところに出ているものなので、感じやすいのもあります。

 それぞれ単体の骨や靭帯はよく使うところは意識できますが、それ以外はうまく意識できないです。手や脚部は細かくいけますが「肋骨右何番乳頭から2cm外側」の様な指定ですと触らないと意識がぼんやりしています。

 頭蓋関節などはかなり感じますが、これは経脈の関係でしやすいのだと思われます。

 筋細胞は長いのは 30cm くらいかもっとあると言われますが、その内部での意識は出来るところと出来ないところがあります。途中に経脈があるようなつくりのところはそこでの意識は楽です。
 このため「大胸筋の停止部から内側何センチの部位のみを肥大」というのが私に出来るかと言うと難しい気がします。

 そういえば、小学校4年生のときの虫垂炎の手術の跡は、未だに違和感があります。

 解剖学上の筋肉は400種類くらいあると言われますが、それぞれの名前をすべて言えるかと言うと、私にはそれは出来ないです。解剖学の先生はすごいなあと思います。

 私は解剖学という見地よりは、自分の学んだことをベースにして発展して来た様に感じます。400よりももっと細かく意識していると思いますが、解剖学との一致はないように思います。

 その解剖学上の400の筋肉の中で、運動で主要なものは100くらいで収まる様に思います。新しい事に気がついたらその場で調べれば良いのでしょう。どんどん楽しみが増えます。

 さて、私は先の例と同じスクワットとすると、それぞれの筋に対して
 「この筋は出力を強めて、こっちは緩めてみよう。ああ横隔膜の奥が固いなあ。腰椎の何番の向きが悪いなあ。おっ、会陰からの重力線がふぬけになった。ちょっとセンターと前後軸を修正しよう」
のような遊びをしています。

 こういう意識をする様になると、やがてその範囲や応用が広がり、緊張も緩めるも好きにできる様になり、動きを伴う運動中もだいぶ楽になります。
 そうすると日常では本当にリラックスしまくりデレデレな状態になります。

 私は42歳なので関節は固くなりつつありますが、でも筋肉自体は歳を重ねるごとに良くなっている気がします。
 肩こりのようなものはどんどん無くなってきています。
 スポーツ生理学や医学とは見方が異なるのかもしれません。

 まだまだ粗いなあと感じます。この感覚をもっと上達させたいなあと考えています。
 やっと歳を取るから、歳を重ねるになってきたのかなあと。

 こういう感覚はまったく内面的な話しなので、人それぞれが全然違うのだと思います。
 そういう中で時々「なんか、感性が似ているなあ」と感じる人に出会うと楽しいです。

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