アメリカ文化と日本文化、それぞれの文化。1

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アメリカ文化の終焉1

 私の専門は国際政治だ。運動や生理学ではない。
 それもどちらかというとかなり戦争に偏っている。そのためインドシナ戦争以降、ライフワークそのものがその地域で、かつベトナムが中心だ。
 私はそこをライフワークの中心とするには歳が若い気がする(1965年産まれ)。ベトナム戦争そのものはあまり良く知らないが、国際政治としてみるにはその頃がここ中短期の分岐点に思う。

 それが民族学(民俗学)的な興味に繋がっている。運動や料理はその延長なだけなのである。申し訳ない。しかしこういうのが面白みを作っているのだと勝手に思っている。


 マイケル・ジャクソンが亡くなり、既に1ヶ月間ほど経つ。
 ちょっとずれるが、カレン・カーペンターが亡くなって25年ほど経つ(83年没)。

 私はカーペンターズの武道館公演に行った。中学生の頃だった。
 マイクのドームの公演も行ったらしい。実は人から言われるまでこれは忘れていた。

 これらはすべて終わっている気がする。
 もうちょっと正確に言うならば、アメリカ文化へのあこがれが無くなっているのである。

 ただしこういうのはだれか一人に突然訪れるのではなく、何となく全員がそう移行するように思う。

 もともと一国の文化を比較対象としてみていたから、私の中では「アメリカ文化へのあこがれ」はないのだが、嫌いではなかった。どちらかというと好きだったように思う。
 
 
 
 文化というのは経済的な影響はあったりなかったりいろいろだ。
 しかし気持ちの上での影響がある。それが結果的に経済的な影響ももたらす。

 「宗教的影響」というのが人々のベースにあるとしたら、「気持ちの上の影響」というのはそれよりは弱い。

 モスリムの人々は相当ずれないし、クリスチャンもずれない。仏教や神道も同様な気がする。
 例えば日本人は結婚式を外国の教会で挙げる事もあるが、精神的な支えとして初詣は無くならない様なものである。「無くならない」というよりも、そこにある事に違和感がない。エベレストや富士山のように「生まれた時からそこにある」。

 一神教や多神教の違いはあるが、この方向に行くと話が変になるので戻す(政治と宗教は私の中では相当近いためである)。

 文化はあこがれであり、気持ちの上での影響が強い。
 知らない文化へのあこがれは強い。
 「知らないのは面白い」
 これは好奇心が呼ぶものなのだと思う。

 文化に繋がる職種は面白い。
 面白いに共感する人が増えると、それは強い力を持つ。

 本は長い時間読まないと結果に至らないから、途中で飽きることもある。
 音楽や映像は時間軸に関係なく刺激を高めやすいので、どこでも喜ばれる。
 だから国に依っては他国の文化の流入を嫌う。


 その影響力が「一人のアーチスト」に集約するというのはすごく不思議な現象に思う。
 個人以外で組織としては放送局やレコード会社、プロモーターが普通にある。文化庁や文科省もある。

 しかしそういう組織によりも、アーチストそのものの力の方が明らかに強い様に思う。
 そういう組織が有効に働かないとアーチストというのも実力が発揮できないし人目に触れる機会が減る。
 しかし本人そのものがいないとどうにもならない。

 マイクがいないと、代役は誰にも務まらないのである。

 こういう本人に頼る(頼らざるを得ない)業界が今もある事も不思議な事がするが、これは人間が存在する以上変わらない気がする。

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