アメリカ文化と日本文化、それぞれの文化。2

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 米国人は自国を「ユナイテッド・ステーツ(「合衆国」の意味、US<ユーエス>ともいう)」と呼ぶ。「アメリカ」ではない。

 時たま「ユナイテッド・ステーツ・アメリカ(「アメリカ合衆国」の意味。略して USA )」と正式に呼ぶ事もあるが、これは選挙や国威を表す国際大会の時、歴史の授業の時くらいだ。
 大抵は「ユナイテッド・ステーツ( or US<ユーエス>)」だ。

 日本人は「アメリカ」と呼ぶが、米国人にとってこれだと地理的な「南米アメリカ大陸」をイメージするようだ。

 まあ呼び名は外部の人が決める事なので、その国の呼び名と外国での通称はあまり関係ない。
 日本も、JAPAN や ジャポネ、リーベンなどいろいろ呼ばれている。
 日本国内でもつい先日、「にほん」でも「にっぽん」でもどちらでも良くなった。それまでは「にっぽん」に統一しようとしていた。しかしそう呼ぶのはバレーボールの「にっぽんチャチャチャ」の時くらいに思う。茶化しているのではない。
 
 
 
 中国では米国を「美国」呼ぶ。「メイグォー」である。
 アメリカを米国と呼ぶのは日本だけである。「亜米利加」の「メ」の米が米国と呼ぶようになった由来である。
 中国で「米国」といっても通じないから気をつけてほしい。「米国」というのは漢字じゃないのである。
 
  
 
 米国人にとっては米国は州の集まりだから(ちなみに合衆国と呼ぶ時は「衆」である)、「仲間に入りたいんだったら入れてやってもいいよ」という気持ちが存在するように感じる(法的な問題はいろいろあるだろうがそれは置いておく)。

 日本人には NY、LA が米国の有名な都市や州だと思うが、「準州(テリトリー)」、直轄領、自治領、自由連合州(コモンウェルス)というのもある。

 「仲間に入りたいんだったら入れてやってもいいよ」の結果である。
 半ば強引な結果もあるのかもしれないが、強引は当事者以外知らないから、それを通し続けるとそれが国際的に認知されたりもする。


 これが日本人だと、「誰でもウエルカム」というのはあまりない気がする。
 個人ですらそうだし、どこかの地域や国が「土地ごと仲間に入れてくれ。油や金をたくさん埋蔵しているぞ。人力も余っている」と言ってきても、
「いや、ちょっと待ってくれ。こっちにもいろいろ事情がある。出張で日帰りできないと奥さんに怒られる。日本語が通じないのは外国みたいでそれも困る」
とかなりそうである。


 話が飛んだ。どうも脱線が好きだ。

 米国人と話していて不思議に感じることがあるのだが、外国に対しての敬意というのが私たち日本人よりも少ないように感じる。

 「入りたいんだったら仲間に入れてやってもいいよ」というのが、それがビジネスや学業にも通じているように感じる。
 だから米国の通商や法は、相手からいわれない限り「私の知っているそれが正しい」と思っている様に感じる。

 日本人や大抵の国の国民だと、国際法やこれから自分の商売しようとする国の国内法を基準に考えるが、米国は国際法や通商を発達させたのは自国だと思っているようで(というかそれすら思っていない。自国が標準と思っているように感じる)、ゴリ押しという意識すらないように思う。


 こういう感覚の違いというのは、とても面白い。

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