アメリカ文化と日本文化、それぞれの文化。3

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 アメリカという国が一番輝いていたのは、第二次世界大戦後からイラク戦争の頃までかなあと思う。
 世界で消費がもてはやされ、消費文化があこがれの対象だった頃に思う。

 日本では「奥様は魔女」のような TV 番組が流行っていた頃から始まる長く厚いピークがあるように感じる。あの番組は母が好きだった。
 ちょうど日本が高度成長期の頃で、その後も「大草原の小さな家」なども流行った。 

 やがて物があふれるに従い、人々の物欲は徐々に減り、今の日本では消費に対するあこがれは終わっているように思う。
 そうなると消費の質が上がってくる。使い捨てから長く使える(使う)物へと移ってくる。

 また日本市場での日本製品のクオリティは世界一なので、一生保つ気がする。
 世界では通常は電気パーツの方が先に数年も経たずに壊れるが、日本製はパーツが壊れなくて周辺部位から壊れて、今まででは思いもよらぬような頃に事故が起きたりする。
 20年を経たファンヒータがまだ使えるのは、多分日本製品だけだろう。


 今も新興国では、まだまだ消費が盛んだ。これからという方が正しい。コピーや粗悪品も盛んだ。
 お金持ちは日本製などの外国製品を買うが、一般的にはその国の経済に沿った商品が買われる。
 大抵保ちが短いから、ライフサイクルが来る頃には丁度新製品を買う事になる。


 日本では、携帯電話などは落としたりして壊れるが、物理的な衝撃で壊れない限りずうっと保つ。
 やがて陳腐化して買い替えたが、近頃は先行きに不安がある為か「使えるならちょっと古くなっても、壊れるまで使おう」という意識が高い様に思う。
 そして壊れないから、物も消費されないし、また物欲も減っているように思う。

 PC で一般的な人のする作業は、web を見るとのメールで写真をやり取りする程度で、会社ならオフィス関係の書類と PDF がほとんどだ。XP のまま大抵の事が出来る。
 さすがに SP3 になってからは後付けが多い為か重くなった様に感じる。屋上屋を重ねている感じだ。
 HD は時間が経つにつれてやがて問題が生じてくるが、直すのが面倒だから適当な頃に買い替える具合である。

 高度な作業をするとしてもそんなにパワーが必要な訳でもない。
 そうしたらそうしたで安い専用機を一台作った方が管理が簡単だし、業務用ではプラットフォームはどうでも良くなってきている。


 新興国では、PC はすごいのを欲しがる。スペックは最高で、何でもありのごちゃごちゃデコレーションの「夢のマシン」が大好きだ。
 それを自作機で作っている。

 パーツは「1週間保証」だったり、保証をなくすと安くなったりするので、消費が盛んな国はいろいろ面白い。
 いつ壊れるか分からないパーツをいっぱい載せて、保証をなくして数パーセント安くして、組み立てた後にすぐ壊れたらどうするのだろうと、日本人なら考える気がする。

 このごろは良く知らないが、以前はソフト回りはプロテクトを外して載せていた。

 作った PC でする事は同じような事だが、回線は遅いし止まるし、雷での停電も多いし、UPS はないし、ウイルスはたくさんいる。全体を考えると日本で Pen3 の 1GHz の様な旧型でやっているのよりも不安定だ。

 それでもとにかく何でもついているのが「欲しい」のである。「必要」なのではない。

 こういう「欲しい」という物欲がこなれてくると、消費文化から離れて行くのだろうが、先進国はどこでも同じような状態なのだと思う。

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