アメリカ文化と日本文化、それぞれの文化。5

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 前回
http://hisajp.com/blog/essayinidleness/2009/08/American-Japanese-culture4.html
で書いた、米国の組織内での発言だが、それがボスの意に沿わないと、

「好きにしたいのならよそでやれ」
というふうに突っ放されるが、発言者が
「私の発言は間違っていた」
と訂正するとそれで収まることが多い。


 日本の組織のように
「あの時お前は俺にたてついた」
という感じで将来まで禍根を残すのとは違う。


 米国の組織というのは、日本の組織よりもルールが厳しい。
 ルールというよりは「してはいけない事」に触れた時の反応が激しい。

 それが明文化されているものもあれば、明文化されていないものもあり、どちらにしても
「今回のこれは私たちにとって適切でない」
というように判断されるものも多い。
 ルール内だとしても、「今回はそれを越えている」となる場合もある。

 あらかじめ決まっているルールへの対応でないから、「罪」に相当することは少なく、
「私の発言は間違っていた」と訂正するとそれで丸く収まるのである。
 問題なのは内容であり本人ではない。内容を改めれば問題で無くなる。

 「どんなにルールを整えても人間がやる以上問題は生じるから、問題が見つかったら都度解決しよう。それが当たり前じゃないか」
という感じである。
 だから間違っても改めれば「罪」ではない。
 「誤りを認めて改める」のであって、「謝る」のではないから、気が楽だ。


 これが日本だと
「明文化されていないのならルールじゃないのだから、それに触れなければ何をやっても文句言われる筋合いじゃ無いだろう」
と言う様な人も居る。

 組織内で何か問題が発生すると「した事」そのものが問題となって、「謝っても」それは「罪」となって消えないで残る。
 だから組織として問題を解決して次に進むのではなく、罰っして終わり、問題が内在したままとなる。

 このように考え方が違うと、問題が発生しても、捉え方が全然違う。


 米国の組織は日本人からすると、日本以上に見えない事が多いが、簡単に言うととても「村社会」だ。日本人のアメリカに抱く印象とは多分正反対だ。
 ボスが反対しても周囲が「まあ、いいじゃないか」と言えば「ああ、みんながそういうのならそうか」と引っ込めたり、ボスの奥さんや同僚が同様に働いたりもする。

 逆もあり、「あの人がこう言っているのは良くないと思う」というのが大きくなると、「んだ、んだ」と全体に広がり、誰かがボスに言ったりする。
 それもチクるというのではなく「これだとやがて問題になります。そぐわない点は改善させた方が良いと思いますが、どうでしょうか。ボス」という感じだろうか。
 そうなる前に直上のボスや同僚も、何となく匂わせたりする。

 そのため組織に関係するそれぞれの立場の人間同士のコミュニケーションが、組織内の人間関係の上で大きく働く。
 「組織は人間で成り立っている」という考えが大きい。
 行動もそれに準ずる。

 よその村の事はあまり気にしない。
 だから出て行く人は出て行くし、新しく入ってくた本人がそこを気に入れば長く居る。
 「フリーダム」だ。


 昔、私が子供だった頃、日本がまだまだ村社会だった頃はいろいろな方面から
「何の筋合いでそんな事言われないとならないの?」みたいなほとんど横やりのようなコミュニケーションがさんざんあった。

 今の日本はこういうやり取りが大幅に減ったように思うし、問題解決にコミュニケーションの占める割合は米国より日本の方が遥かに少なく思う。

 会社などでは、上が決めたら絶対で、気に入らない人には誰かがアドバイスをする訳でもなく、みんなでいじめたりして追い出す様にしむける。
 「人は組織に従属する(が、多分自分はその犠牲にならないはずだ)」という考えが強い様に思う。
 それだと他の人が難しい状態になった時に対応出来ないので、自分がそうなってもどうにも出来ない。
 こういうのはあまり良くないと思う。自分一人で対応できない事例にぶつかった時に弱い。

 よその村も自分の村と同じ約束事で出来ていると思っている。
 だから怖くて、新しい村にはなかなか移れない。
 移動する自由が制限されている分、その中でどうにかしようとする「自由」だ。


 「人間に生じているほとんどの問題は人間が発している。
  天変地異は自然現象だが、被害にあった人に対応するのは人間だ。
  人間の行う事はそれぞれ相対的なものなので、絶対的な解決に至らなくても、それに適した対応をすれば良い。
  これから先はそれがますます重要となる」。

 というような対応は、米国という国から発生した組織は上手に思う。
 そして、そういうやり取りが出来る組織は、他の国に発生した組織でも伸びている。


 米国人にとって「話しても解決に繋がらない」というのが「日本は分からない」と言う事に繋がり、

 日本人にとっては「都度話して解決するのは面倒だから、最初からルール化して、当てはまらない事はその近い事項に当てはめて対応する」というのに繋がっている気がする。

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