私が目指しているもの 3 トレーニングは効率の追究

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 同じ運動神経をもっているとすると、筋肉量が多い方が同じ運動が楽に出来ます。

 例えば筋肉量がそれぞれ 25kg と 50kg の二人がいれば、筋肉量の多い方が同じ負荷を扱うのが安易にできるからです。
 華奢な女性と筋骨隆々の男性が同じ重量のバーベルを持ち上げるのであれば、男性の方が楽に出来るのは想像できると思います。

 しかしこれはそれぞれが同じ運動神経だとしての事です。


 スポーツでは、競技者の筋肉量を増やすトレーニングをすることが多いです。同じ人間なので運動神経は同じため、筋肉量を増やす事で競技成績が上がると考えられる為です。

 しかし筋肉量が増えても運動神経は直接は向上しません。同じ負荷のものを正確に動作できる為に競技能力は上がりますが、運動神経の向上には関与していないと考えます。

 また、筋肉は重いため、増えた筋肉を有効に使えないでいると、余分な筋肉が増えるだけで抵抗になります。俗にいう「使えない筋肉」です。


 こうなると「筋肉量の増加は不要だ。だからトレーニングはしない」と言う理論も可能性として考えられます。


 しかしここでちょっと考えてみてください。
「筋肉量の増加」だけがフィジカルトレーニングなのでしょうか。

 トレーニングから身体を見ると、「筋肉量」以外には「筋持久力」「瞬発力」「全身持久力」などがあります。それ以外には

「神経系の働き」「全身の統合性」「競技技術の向上」「メンタル」のようなものまでを含めて、一人の競技者が成り立ちます。

 それぞれが必要ですし、逆に言うと一つだけを選んで向上させる事も難しいのです。「筋肥大」を狙っても他の能力の向上が付いてきます。

 競技練習とは、要約すると「神経系の伝達を正しく行える様にする習熟行為」です。

 それを続けるとやがて競技が上手になり、あわせて「筋肉量」や「筋持久力」が向上し、「統合性」もよくなり、「全身持久力」もあがるでしょう。

 これは「筋肉量」の増加だけではなく、全身のあらゆるフィジカルが向上するから競技技術も向上すると考える訳です。

 そうすると、トレーニング不要論は、競技練習も不要となります。
 でも、そうはならないでしょう。


 競技者としては、高校野球や大学野球などを見ても在学中に良い成績を残した方が、その後に良いチームに入れたりして、自分の可能性を追究できる可能性が高くなります。

 上記の様に競技練習だけをしていても、やがて全身のフィジカルも向上すると言えますが、それだと時間が余計に掛かります。

 「一生を掛けて道に精進する」のが目的なのか、競技者として可能性を追究したいのかに因っても変わるのでしょう。

 トレーニングというとなにか特別なものと考える方もおられますが、単に効率の追究と考えると分かりやすいと思います。

 競技に打ち込めるのは限られた時間ですから、ベースとなるフィジカルと競技技術を効率よく向上させたいものです。

「フィジカルやメンタルの様々なトレーニングを効率よく行いましょう」
「そしてそれを競技成績の為に役立てましょう」
というのがトレーニング論と考えてみてください。
 

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