アメリカ文化と日本文化、それぞれの文化。6

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 日本という国は、何か一度社会からこぼれると、復帰が難しいと感じる。
 これは儒教的思想が根底にあるのかなあと思う。

 韓国人の友達とはこのところ会ってないし、こういう話はしないので分からないが、日本と韓国にはそれが強くある(残っている)ように感じる。
 それが犯罪や罪を犯した時から、または社会的弱者の、社会復帰へ影響を与えている原因の一部を含んでいる気がする。

 罪や犯罪を憎むのではなく、犯罪者そのものを憎むの様である。たとえ間違いで犯罪に巻き込まれたのだとしても、犯罪者として一生扱われる。
 リストラに合い、職を無くし、ホームレスとなっても、そこからの回復が難しい。

 日本では、原因が何であれ、一度社会からこぼれると、それからの社会復帰が難しい。
 これから先、人口が減っていく事を考えると、こういうのは改善すべきであろう。


 今回の、酒井法子被告の麻薬犯罪では、それに対して、
「芸能界はしょうがない」
「もう二度と帰ってくるな」
というようなものが多く感じる。

 薬物犯罪の怖いところは、やがて依存症となり、本人の意思に関わらず求めてしまう常習性が強い事にある。
 これは「犯罪」という面と、「病的なもの」の両面から見ないと解決は難しいのだが、犯罪面からの見方の方が多いと感じる。

 この薬物に該当するものを含む嗜好品の範囲には、アルコールやタバコも含まれるが、アルコールはイスラム圏では御法度だ。イスラム圏でも異教徒は酒は飲めるが、それは外国人向けのホテルなどに場所が限られている国もある。
 対して日本では薬物に該当する類いも流通していたりする。合法なのか違法なのかが、法的に定まっていないのかは分からない。例えば日本でMDMAは数年前までは違法でなかったので、取り締まりが出来なかった。

 タバコは中国や東南アジアでは、分煙のような考えが無いところが普通で、下手したらエレベーターの中でも吸っている。
 東南アジアではタバコの年齢制限が無い国がある。
 日本では公園で遊ばせている幼児のすぐ近くで、何人もの母親が煙草を吸っているのを見かける。副流煙の影響は多くの人が知っていると思う。

 このように嗜好品や薬物の定義は、その国の慣習によって大きく異なる。
 逆な意味では、「法的な整合性がどこまで確かなのか」というのにも繋がるため、医科学的な根拠で見るのと同じくらいの割合で、慣習で捉えられている面もあるのだと思う。
 ただしこれは薬物を勧めている訳ではない。


 数年前に韓国で、
「日帝時代にそれに関わる職に付き、得た資産がある場合は、没収する」
と言う旨の法律が、事後立法された(内容の精査については認識不足の点もあると思うのでご確認ください)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%8D%E9%81%A1%E5%8F%8A

 事後立法というのは憲法のある国では大抵憲法違反になるもので、さかのぼって「けしからん」という事は出来ないのだが、感情的になら何となく共感してしまうところはある。

 私は、このような感情的なものが、日本での社会復帰に影響を与えている面があるのではないかと感じる。
 日本とあわせ韓国を例に挙げたのは、先進国の中で自殺率が高いのが日本と韓国だからである。
 儒教的な共通点が残るのはこの2国で、中国は発祥の地だが彼らはアジア人にしては個人主義なのと、自殺率が低いので共通項が見当たらない気がするから外した。
 実は自殺率は東欧の方が倍くらい高いが、宗教は主にキリスト教なのと、原因に経済的な悲観率のほうが高い気がするのと、社会への復帰という本題での面が見えないため外した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA%E7%8E%87%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html


 人間に社会が必要なのは、人は「人間どうしで社会的な営み」をして初めて人間らしくなるからである。
 動物に育てられた人は人間には成れない。そうすると人間として認められなく、人権の侵害が行われる事になる。

 社会的な営みが出来ないと犯罪になる場合があるが、犯罪を行った人間に対し、
「そういう事は悪い事ですから、次はしちゃいけませんよ」。
といって社会のルールを知らしめる事が重要だし、普通に行われている。知らない法律やマナーも結構多い。

 社会にいないと、社会のルールが分からないので、また犯罪を犯す事に繋がる恐れがある。
 ある意味、しながら進めるような矛盾が含まれている。
 そのため再び被害者が生じるような重大な犯罪者に限っては、極刑とせざるをえない。
 だから子供のうちの躾(しつけ)は重要だ。


 ところが薬物の常習性というのは、これを上回る力があり、自分でコントロールできないのである。
 コントロールできれば苦労はしない。

 「最初の一回したのが悪い」
と言えばその通りだ。

 では、20歳前の酒やタバコはどうか?
 20歳を過ぎての、酒やタバコの依存症は、社会復帰をさせてはならぬほどの犯罪だろうか?
 痩せ願望の女性の拒食症もある意味依存症だが、それも社会復帰をさせてはならぬほどの犯罪だろうか?
 本人がそうせざるを得なくなった原因に、あなたや社会はまったく関与していないか?

 例えば、奥さんがキッチンドランカーでアルコール依存症となり家族が大変になったとして、
 パチンコ依存症になったとして幼い命が失われたとして、だからといって、
「犯罪者として罰っして離婚すれば済む」という話にはならないだろう。

 まずはそうならないようにするというのが、大事であろう。
 その上で、依存症というのはいつどこで誰がなるか分からないので、「なったからには一生許さん」というようなものではないと、社会全体として考える事も重要であろう。

 依存症はそうなった本人が一番困る訳で、こういう困った状態からの回復やその後の復帰を認めないというのは、ある意味では人権侵害という最大の犯罪に繋がる可能性がある。
 「自分以外は認めない」というのは、地下鉄サリン事件のような犯罪となる。


 そのためには、ありきたりだが、
「犯罪に手を染めたり、依存症にならぬ様に、良い人間関係を継続する」
ということが需要であろう。

 この人間関係には、友達関係、家族関係、恋人関係、仕事関係のようなほとんどの面が含まれるので、「私は知らん」というものでもないだろう。
 政治や行政に任せられるかというと、現実的にはどうにも効果的に進んでいない。

 それとともに、もしあなたの愛する人がそうなったとしても、犯罪面だけを見つめるのではなく、病的な面からも支える必要があるだろう。

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