露皇帝、死の謎に終止符? 「ニコライ2世の2子」遺骨発見

| コメント(0)

iza

08/30 15:15

 【モスクワ=内藤泰朗】ロシアで革命政権に殺害された最後の皇帝ニコライ2世の長男と三女のものとみられる遺骨が発見され、大きな話題になっている。最後の皇帝はソ連崩壊後、遺骨が発掘され、歴代皇帝が眠る旧都サンクトペテルブルクに埋葬されたが、その真偽をめぐる論争が今も続く。今回の遺骨はその論争に終止符を打つ証拠となる可能性があるだけに、調査の行方に関心が高まっている。

 今回発見されたのは、ニコライ2世の長男で皇太子のアレクセイ(当時14歳)と、三女のマリア(同19歳)のものとみられる2体分の遺骨と赤さびた銃弾など。皇帝の遺骨が見つかったロシア中部ウラル山麓(さんろく)のエカテリンブルク郊外にある森の近くで、地元の考古学愛好家が文献などをもとに発掘した。

 ロシア検察当局はこれを受け24日、皇帝の遺骨埋葬で一度は終了した捜査を再開した。ロシアのメディアは「センセーショナルな発見」(ロシアのテレビ局NTV)などと大々的に報じている。

 これに先立つ1993年、皇帝とその家族らとみられる9人分の遺骨が発見され、いずれも殺害後、証拠隠滅のために硫酸で焼かれた痕跡が確認された。しかし、残る皇太子アレクセイと皇女マリアの2人の遺骨は行方不明のままだった。

 さらに、その後のDNA鑑定でも、日本など諸外国の専門家らが鑑定結果の一部内容に疑義を挟む意見を発表した。このため、ロシア正教の総主教や欧州の王室は、「疑問が残る」として、殺害から80周年に当たる98年にエリツィン大統領(当時)も出席してサンクトペテルブルクのペトロパブロフスク要塞(ようさい)で行われた葬儀に参列しなかった。

 それでも葬儀が強行された背景には、暗い過去を持つ共産主義との決別を急ぐ当時のエリツィン政権の政治的な意図が強く働いていたとされる。このため、皇帝と親類関係にあるロマノフ家の関係者らは、「今回は調査を急がず、情報を公開しながら行ってほしい」と注文をつけている。

 皇帝とその家族は18年7月17日の夜、エカテリンブルクの軟禁先の地下室で殺害されたが、その2日後の各紙は「困難な戦況と、反革命謀略により、ニコライ2世はエカテリンブルクで銃殺刑となった。家族は安全な場所にいる」と報じていた。

 ロシアの著名な歴史家ラジンスキー氏は「ツァーリ(皇帝)とその家族の死の謎が完全に解明されなければ、新しいロシアに未来はない」と強調した。ロシア正教を国教として帝政時代をモデルにした「強いロシア」の復興を目指すプーチン政権にとって、ロシアの悲劇を背負い犠牲となったツァーリとその家族の遺骨回収は、重要な国家事業となっている。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/80629/

コメントする

アイテム

  • first-spa-20141220-768883-magazine.jpg
  • first-po-20141124-13947-magazine.jpg
  • Harbor_business_13169_1.jpg
  • thumb-ng-20141120-20141120003-world.jpg
  • img_0df3642ef8b1753b98d4302ab0eb81f05123.jpg
  • img_aa5ca59abad9fedb1131ef9261d007889378.jpg
  • img_ede49a2fbc6b525fa060b16acf43a8a710763.jpg
  • img_2db2e6ad9c90ec3ff8fe317dd7b087df11708.jpg
  • 141116-1Pasted Graphic.tif
  • 141115-2Pasted Graphic.tif
  • 141115-1Pasted Graphic.tif
  • img_528639ae1fcb7547a8a3f110be5bb4bf23004.jpg