奈良・都塚古墳:ピラミッド形の大型方墳 蘇我稲目の墓か

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毎日新聞 2014年08月13日 19時14分(最終更新 08月13日 19時42分)

 ◇階段状墳丘が確認されたのは初

 奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半ごろ)が、墳丘を5段以上の階段状に築いたピラミッド形の大型方墳と分かり、村教委と関西大考古学研究室が13日、発表した。国内の同時期の方墳で階段状墳丘が確認されたのは初めて。一辺の長さが40メートルを超え、直後に築かれた方墳の大王(天皇)陵に迫る規模であることも分かった。トップクラスの権力者が前方後円墳に代わる新形式として取り入れたとみられ、蘇我氏の権勢の礎を築いた稲目(いなめ)(?~570年)らが被葬者の候補に挙がっている。古墳時代から飛鳥時代への過渡期の権力構造を知る手掛かりになりそうだ。

 都塚古墳があるのは、稲目の子、馬子(?~626年)が被葬者として有力視される石舞台古墳(7世紀前半、一辺約50メートルの方墳)の南東約400メートル。尾根の先端の傾斜地に築かれている。

 1967年に関西大考古学研究室が調査し、巨石を使った横穴式石室の中に凝灰岩製の家形石棺が安置されていたことが分かったが、墳丘の形や規模は不明だった。

 今回、墳丘と周囲の計7カ所を発掘調査したところ、最下部が、のり面を河原石で固めたテラス(基壇)になっており、その上に石積みの階段を重ねて墳丘を築いていたことが分かった。

 階段の石積みは石室と方向を合わせて築かれ、テラスになった最下段の1段と上部の4段分を確認。各段の水平面の幅は最下段が6メートル以上で、上部が約1メートル。上部の階段の高さは約60~約30センチ。最下段と上部の間の未調査部分に更に数段あるとみられ、全体では8段前後に復元できるという。

 墳丘の規模は、東西41メートル、南北42メートル。高さは山に面した東側が4.5メートル以上、谷に面した西側が7メートル以上になる。墳丘の北側で石の護岸の周濠(しゅうごう)(幅1~1.5メートル)を確認した。

 同時代の敏達(びだつ)天皇(585年死去)が葬られたのは前方後円墳、次の用明、崇峻(すしゅん)、推古の3天皇が葬られたのは方墳とされており、大王陵が前方後円墳から方墳に切り替わる直前の築造とみられる。これらの大王陵や石舞台古墳はいずれも2~3段で、階段状の方墳は5世紀まで朝鮮半島北部の高句麗で築かれたが、国内では例がない。

 一帯は吉野方面への街道が通る要衝で、馬子の邸宅跡とされる島庄遺跡や飛鳥の中心部を北西に望む。

 現地説明会は16日午前10時から午後3時にあり、石室内部も公開する。小雨決行。【矢追健介】

 ◇都塚古墳

 奈良県明日香村の飛鳥の宮跡から南南東約1.2キロの阪田・祝戸地区にある。江戸中期の国学者、本居宣長の紀行文「菅笠日記」には、用明天皇を葬ったという伝承とともに「みやこ塚」と紹介されている。明治、大正時代には、巨石を使った横穴式石室の中に朱を塗布した巨大な家形石棺があることが報告され、早くから注目されていたが、史跡には指定されていない。

 ◇見たことがない墳丘構造

 木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)の話 見たことがない墳丘構造だ。飛鳥時代の夜明け前、有力者が最先端の墓を造ったのだろう。朝鮮半島や渡来系の墓に似た点もあり、国際性や豪族間の権力抗争など、飛鳥時代前史の多様性を考える上で非常に興味深い資料が提供された。


http://mainichi.jp/select/news/20140814k0000m040042000c.html

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