最近話題の日亜化学、どんな会社?ノーベル賞受賞技術で急成長、開発者の中村氏と法廷抗争

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ビジネスジャーナル 2014年10月16日 00時05分 (2014年10月16日 17時40分 更新)

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 青色発光ダイオード(LED)開発への功績が認められ、中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授がノーベル物理学賞を受賞し、日本中が祝福ムードに包まれる中、図らずもクローズアップされているのが、中村氏の元勤務先である日亜化学工業(徳島県阿南市)である。

 中村氏は受賞後の会見で日亜化学に対する好悪相半ばする感情を吐露した。感謝したい人物の筆頭として、中村氏が同社在籍中に青色LED研究への投資を決断した同社創業者、小川信雄氏(故人)の名前を挙げ、「私が開発したいという提案を5秒で決断し、支援してくれた。私が知る最高のベンチャー投資家だ。小川社長に500万ドル必要だと言うと、彼はそれもオーケーだと言った」と語った。

 その一方で、「研究の原動力はアンガー(怒り)だ」と日亜化学に対する憎しみを隠さなかった。発明特許を会社が独占し、中村氏へは発明の対価として「ボーナス程度」の2万円しか支払われなかった。中村氏は退職後も技術情報を日亜化学のライバル企業に流出させたとして同社から訴訟を起こされ、「さらに怒りを募らせた」と明かした。

 この日亜化学は、未上場企業のため世間的にはあまり知られていない。創業者の小川信雄氏(1912年7月9日-2002年9月6日)は、旧制徳島高等工業学校製薬化学科(現・徳島大学薬学部)卒。太平洋戦争の南方戦線で軍医直属の薬務員だった時に、米国製の蛍光管を目の当たりにし、今後伸びる製品だと確信。56年12月、徳島県阿南市に蛍光管製造の日亜化学を設立した。

 その日亜化学に中村氏が入社したのは79年。中村氏は入社から8年過ぎた87年、辞職覚悟で当時社長を務めていた前出の小川氏に直訴し、不可能といわれていた青色LEDの開発許可を求めた。中村氏の「異能・異才」を日亜化学の中で唯一評価していた小川氏は、「オーケー。やっていい」と即答。「開発費はいくらかかる?」との質問に「500万ドルが必要だ」と答える中村氏に対し、「ええわ、やれ」と一言で返答したという。当時、為替レートは急激な円高が進んでおり、500万ドルは8億円に相当する。中小企業の日亜化学には大変な金額だ。これにより500万ドルの研究費支出と米国留学が認められ、青色LEDが日の目を見ることになる。●会社の命令を無視して開発に成功

 89年3月、中村氏の最大の後ろ盾である小川氏が不治の病に倒れ、娘婿の英治氏が2代目社長に就任した。

社長交代をめぐり「週刊現代」(講談社/04年5月22日号)は次のように報じている。

「脳萎縮によって意識障害があった信雄社長の車イスをAさん(占い師)が押して、会社にやってきた。Aさんが『会議をする!』といい、幹部が集められた。『次期社長は婿養子の英治であり、みなが婿養子の指示に従い、会社を盛り立てることを望む』」


 英治氏は徳島大学工学部を卒業し、60年、新三菱重工業(現・三菱重工業)に入社。65年に郷里の阿南市に戻り、日亜化学に入社し、信雄氏の長女と結婚。婿養子となっていた。

 ちなみに徳島大学工学部の卒業生が技術陣の多数派を形成していたが、経営陣は三菱グループの出身者が占めていた。英治氏のほかに、息子で次期社長有力候補の小川裕義・代表取締役副社長 (第二部門部門長)は三菱電機出身、田崎登・代表取締役副社長(総合部門部門長海外事業本部長)は三菱化成(現三菱化学)の出身者である。

 社長に就任した英治氏は製品化の見込みがないと判断し、青色LEDの開発の中止を命じた。中村氏は青色LEDの開発がダメなら会社を辞めてもよいと腹をくくって会社の命令を無視し、上司から届けられた開発計画変更書をゴミ箱に捨て続けた。

 そして中村氏は周囲の反対に背を向けるかたちで開発を進め、92年3月、青色LEDの製造装置に関する技術を確立し、日亜化学が特許出願した。「404特許」と呼ばれるもので、その後、この特許をめぐって中村氏と同社が対立することになる。日亜化学は93年11月、今世紀中は困難といわれていた青色LEDの製品化に成功したが、中村氏が手にした会社からの報奨金はわずか2万円だった。

 中村氏は青色LEDの開発で国際的な技術賞を多数受賞するが、日亜化学は命令を無視した中村氏に社内で居場所を与えず、99年12月、中村氏は同社を退社。そして、「君はノーベル賞を獲るべきだ」と評価する米カリフォルニア大学サンタバーバラ校総長の招きで同校工学部教授に就任した。

 米国に移住した中村氏に、日亜化学は追い打ちをかけた。特許技術をライバル企業に流出させたとして、企業秘密漏洩の疑いで中村氏を提訴。発明の対価がわずか2万円と聞いた米国の研究者仲間から「スレイヴ(奴隷)」と呼ばれていた中村氏は、同社に反撃を開始する。404特許の特許権帰属確認と200億円の譲渡対価支払いを求めて同社を提訴したのだ。

 04年1月、東京地裁は発明の対価を604億円と算定し、日亜化学に対して200億円を中村氏に支払うよう命じた。

日亜化学は直ちに控訴。東京高裁は和解を勧告し、05年1月、日亜化学が遅延損害金を含めて8億4000万円を中村氏に支払うことで和解が成立した。中村氏は帰国の可能性について「それはない。仕事はこちら(米国)でと決めている。裁判も決め手になった。大勝したら日本に残ろうと思っていたが、そうならなかったので米国に移った。この選択は間違っていなかった」と語っている。●高収益企業への変身

 日亜化学は青色LEDの製品化に成功して以降、急成長を遂げてきた。現在の主力製品は青色LEDと蛍光体を組み合わせて製品化した白色LEDであり、携帯電話のバックライトや車載照明などに使われている。LED関連商品で利益の大半を稼ぎ出し、白色LEDのシェアは世界1位だ。


 かつての中小企業は今や、従業員8300人、資本金467億円の大企業に変身した。筆頭株主は日亜持株組合(保有比率14.0%)で、以下、協同医薬研究所(6.1%)、徳島銀行(4.9%)、阿波銀行(4.8%)、四国銀行(4.8%)、シチズンホールディングス(3.7%)、みずほ銀行(3.5%)、伊予銀行(3.1%)、三菱東京UFJ銀行(2.9%)、ソニー(2.6%)が名を連ねている(14年6月末現在)。

 13年12月期の連結売上高は前期比7%増の3096億円、本業の儲けを示す営業利益は64%増の500億円、当期純利益は51%増の493億円、売上高営業利益率は16%を誇る高収益企業だ。売り上げは20年間で20倍になった。稼ぎ頭であるアジア事業を含む海外売上高は全体の62%を占め、中でも中国が前年より1.8倍となり業績を押し上げた。今期も業績は好調で、14年中間期(1~6月)の連結売上高は前年同期比15%増の1603億円、営業利益は2.2倍増の373億円と大幅な増収増益だった。

 高収益企業に大化けしたきっかけは、世界初の青色LED製品化に成功したことだった。その青色LED開発の中心人物である中村氏を結果として追い出したかたちとなった日亜化学は、中村氏のノーベル物理学賞受賞について次のようにコメントしており、中村氏に対する複雑な心情が読み取れる。

「日本人がノーベル賞を受賞し、受賞理由が中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは日亜化学としても誇らしい」

 中村氏は自身が創業したLEDベンチャーSORAA(米カリフォルニア州フリーモント)で10月8日、記者会見を開き、SORAAが製造する紫色LEDの普及によって消費エネルギーを減らし、さまざまな社会問題を解決する意気込みを語った。中村氏が現在取り組んでいる紫色LEDは、青色LEDより少ないエネルギーで同じ明るさを実現可能で、大きな省エネ効果が期待できるという。SORAAの紫色LEDは展示会会場の照明などで使われ始めている。2~3年をメドに価格を大きく下げ、一般的な照明向けに一気に普及につなげる計画だという。
(文=編集部)


http://www.excite.co.jp/News/society_g/20141016/Bizjournal_201410_post_6336.html

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