高度になるほどピンポイントになる

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(続き)

 このように相手と話せる条件に有れば問題の解決というのは比較的行いやすいものですが、用語がずれていたり、お互いの理解が違っていたりすると難しくなる様です。

 例えば競技の場合は、競技技術そのものは選手の方がトレーナーやコーチや監督よりも遥かに上です。

 監督は、競技戦略の向上を通じて競技成績を上げるものです。
 コーチは、競技技術の向上を通じて競技成績を上げるものです。
 トレーナーは、身体を通じてどのように問題を解決するかを考えるものです。

 そしてこれらの重要性や優先度がそれぞれの考え方で異なります。
 これはある意味一種の賭けなので良い成績に繋がるかどうかは、それも含められるものだと思います。
 競技というのはある意味これで良いのでしょう。
 
 
 
 ではもう少し純粋にフィジカル面の向上を目指すトレーニングの場合はどうなのかを考えてみましょう。
 トレーニングというのは純粋なフィジカルの向上の為に行うものなので、たとえが適切ではないかもしれませんが、病気を直すようなものです。
 「こういう場合はこうする」というのがある程度明確にあります。

 その組み立ては理論的なものなので、データが有り、専門家が見れば、
「こういう風にしましょう」
というのが見えてきます。

 健康マニアな人でも実際に困るとなるとお医者様に頼るものです。そこでお医者様はその道の専門家として解決を図る訳です。

 スポーツやトレーニングの難しい点は、それで死ぬ訳ではないので、そこに本人の主観が入るという事でしょう。
 それが正しいかどうかが分からなくても、また理論的でなくても、それで行えます。
 結果どうなるかと言うと、上手く行く事も有れば、上手く行かない事も有ります。

 これが高度になるほどピンポイントになる訳ですが、今の環境を見ていると、高度な方法や知識が広がる様になりすごく良いなあと思うのですが、反面、どうしてそうなのかがないまま理論だけが広まっているような気がします。

 また、理論的な解決へ至る為の手順というのも抜けたままです。

 これらからすると、方法は知っているけどなぜそうするかの原因と必要性を明確にしないまま、唐突にとある技法を選ぶ様に感じます。

 そうすると、ピンポイントで狙える分、外したらリカバーが大変な気がします。

(了)

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