現象を見るか、人を見るか

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 数日前 NHK の TV で「高度看護士(名称うろ覚えです)」の人の番組をしていた。夜の番組で、茂木博士のものだ。

 その人(女性)曰く、
「病気をみるか、人をみるか。私は人をみたかった。だから看護士の道を選んだ」
というものがあった。

「頭が良い人でお医者さんにもなれる人なのに」のような振りからだった。
 医者は病気を診て、看護士は人を看るのだろう。

 以前新聞かなにか忘れたが、
「お医者さんに診断してもらったら『面白い現象ですね』の様に言われて悲しかった」
の旨があった。そのようなことであろう。


 私はトレーナーなので医者に近い方向で現象(病気)を見る。選手やお客様のスペックを向上させるのが仕事だ。気持ちは二の次である。お互い目的が分かっているのだからそれでも良いのであろう。

 以前私もお医者さんに同様に
 「この検査値は面白いですね」
と言われた事があり、面白いのかと思って私も一緒に喜んだのだが、自分が病気であっても数値で観察する。


 面白いというのも数値や現象や形状が面白いのである。例えば人のとある部位を見多とすると、自分と違う形を見るとあなたも「面白い」と思うかもしれない。
 ボルゾイを見るとにょろにょろ感がすごく面白い。そんな感じだ。

 また、スキーなどの競技では転び方が面白い事がある。選手同士であると冷静に
「あそこのこの角度がこうだったので、このようになりこのように転んだのだ」
と転び方でかなり楽しめる。
 以前書いたがアプローチが正しくない結果が転ぶという現象に現れるのである。


 私が数値でとらえるようにしているのはこれは信念から来ている。頭が固いからではない。
 実は私は相当の感覚派である。思いつきや連想だけでも進める方である。これはこれで良いのであるがとんでもない方向に行く事もある。音楽の仕事ならこれも良いのだろう。

 ところが身体や運動はすべて生理的な物理的な数値の上にある。食わなければ痩せるし食い過ぎれば太る。蹴る力が弱ければ 100m 走のタイムは向上しない。だれも超越する事は出来ない。

 これを数値を抜きにするとめちゃくちゃになる。
 「それは神様のされた事です」 
ですべて終わるのである。

 「あなたがきれいに痩せれたのも、あなたの競技成績が良いのも、神様のされた事です」。
これならとりあえず理由がはっきりしなくても結果オーライだ。

 「あなたが痩せられないのも、競技で上位に入れないのも、神様のされた事である」。
このように言われたら多分困るだろうし、仕事もなくなる。


 だからどんな事も数値化出来ないものは取り扱わない。
 数値化出来ていないものの多くは、数値化する手段が開発されていないからだと考える。

 というところからきているのである。

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