運動と食事 1、栄養学、食事の数値化

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 しばらく食事について書きたいと思う。


 食事に数値化という概念を最初に持ち込んだのは西洋の栄養学だろう。

 例えば旧ドイツ軍では
「兵士の一日当たりのパンは何グラムで、、、」
という記載がある。
 この頃からカロリーや各成分の表示があったのかまでは知らない。

 カロリーは、現在は爆熱量という方法でエネルギーを計算するのが最も正確に近いとされている。
 但し常にそれを行うわけにもいかないので「日本食品標準成分表」を基準にする事が多い。これは時々改訂されている。以下はそれそのものではないが、それをソースに作られたページである。
http://fooddb.jp/

 また、こういう装置もある。
http://www.j-world.co.jp/ca/
 
 
 
 「カロリー計算」や「何の成分がどれだけで」と計算されている方も多いと思う。まったく何の数値が無いよりはある方がやりやすい。

 摂取すべきカロリーは身体の熱代謝から計算できるから私も理解できる。

 カロリー以外に成分割合を数値化しているが、それらの一日に必要とされる量の根拠が「どこから由来するのか、なぜそう考えているのか」。それをどういう基準でそれを作っているのかは、私は知らない。


 また、この場合、実際はあり得ないだろうが、バランスが取れてさえいれば同じものを食べ続けても問題無いとなる。

・季節要因、旬、産地、土地柄などは関与しない。
・活動強度はカロリーで計算し、何がどう必要というのは、基本的には関与しない。
・摂取のタイミングやたった今何が必要かは、基本的には関与しない。
・年齢、性別、妊娠時などは分けて考える様になってきた。


 フレンチパラドックスという言葉をご存知の方も多いと思う。
 イギリス、フランス、ドイツなど、ほぼ同じ食材を使用していながら、それぞれの病気の発病率や死因が異なるというものである。
 これは
「赤ワインのポリフェノールの摂取がフランス人は多いから」
と言われているが、私自身はそれだけかなあと感じているし、それ以外に数値化されていない要因も多い様に思える。
 
 
 
 栄養に限らず何事もだが、数値化の最大の問題は、「数値化できないものは分からない」のである。
 だからどんどん細かく分析していき、計る機材も精密化していく。

 さらには、数値化に限らないのだが、「概念に無い事はいつまでたっても関与できない」のである。

 数値化というのは分かりやすくする為にあるのだが、数値化できないから分からないというのは大きな矛盾だ。

 生理学や運動(や病気の治療)は人間の身体や行動の数値化の最たる例だろう。


 斎藤孝氏の言われる「暗黙知」の域は数値化できると思うのだが、より正確するにはより細かく分析できないとならない。

 数値化とは一般化の事である。一般化できないものは、職人の技術や匠のような、個人に起因するものとなる。

 数値化して一般化できない暗黙知だけだと、会社など属する組織によりエビデンスや行う事が全然異なる事となり、統一基準となり得ない場合もある。

 それは高度な域では重要だが、一般的にはあまり高度でなくても統一基準があった方が良いだろう。

 そういう意味では全体の方向性を付けるのには、現時点で出来る限りの範囲であっても重要だろう。


 そういう事をしながら、すべてのものは進化していっているのだろう。

 
お勧めの本
http://hisajp.com/blog/recommended/recommend1.html

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